第四章　第二話
	モルモット
	ある日、学長室に珍しく中臣が訪れた。「やあ、お珍しい、まま、どうぞ、こちらへ　・　・　」 亜真野は鼻先に落ちた金縁眼鏡を慌てた様にグイッ、と押し上げ、満面の笑みで部屋へと招いた。 だが、これはある種の牽制である。今朝の電話の様子から、厄介な話で在る事は薄々ながら察知していた。 中臣の抱える分厚いファイルも、亜真野の観測を暗示している。亜真野はチラッ、と一瞥したが、素知らぬ顔で椅子を勧めた。 だが、中臣も腹に一物は在りそうである。彼は椅子には座らずに、背筋を伸ばすと、「ご覧下さい」と、ファイルを示した。 「チッ、話は聞かねば為らぬかな？」内心、亜真野は舌打ちしたが、素知らぬ顔で受け取った。 ファイルを開くと、新聞などの写しらしい。その脇には中臣自身の筆跡で、何やら文字が書かれてあった。 「ん？ 何ですかな？ これは　・　・　」亜真野は訝る様に問い掛けた。 中臣が言った。「はい、島根での此処二年ほどの犯罪と事故、自殺などを集めた物です、ですが、 どうも様子が普通では無い　・　・　霊的な作用、としか思えんのです」 と、亜真野の顔つきがわずかに歪んだ。「エッ、これが全部？思い過ごしじゃあ無いんですか？」 いかにも怪しい、と言う顔つきである。だが、中臣はそうとは思えぬ、と真顔で答えた。 「けど、霊現象で、これだけの事が起こるでしょうか？ ちょっと考えられませんな　・　・　」 亜真野は冷ややかにそう言って、呆れた様子でファイルを閉じた。 だが、本心では無い。彼は既にその事を察知して居り、深刻な事態である事は先刻、承知の事だった。 亜真野には、この問題を伏せねば為らぬ、秘められた事情が在ったのである。出来得れば有耶無耶にして、惚けて居たい所であった。 だが、今の中臣の様子では、それは幾分、難しそうである。次善の策が必要だった。
		「だが、中臣はどの程度まで掴んだのだろう？」対応はそれによって決めねば為らない。 亜真野はのらりくらりと言葉を交わし、中臣の反応を窺った。 だが、一方の中臣は亜真野のなおざりな対応に、腹立たしさを募らせていた。 今日の魂胆は分からぬが、何事によらず、もったいを付け、人を焦らして悦に入るのが、亜真野の奇妙な癖なのである。 報告だけなら、ファイルを置いて、退散したい所であった。 だが、今回の問題では亜真野の協力は欠かせ無い。とにかく早急に納得させて、動かす事が必要だった。
	中臣は数ヶ月前、島根の県警に社会心理学の特別講師として招かれた。中臣の他にも異常心理学、精神分析学などの専門家が 招かれている。他県では見られぬ異常犯罪、そして、事故や自殺など、その様な事件の急増が問題視されたからだった。 講演は三日に渡って行われていた。 だが、中臣はそれらの現象に心理学では説明し切れぬ、怪しげな影を感じたのである。 彼はその後も島根を訪れ、自らの課題として取り組み始めた。 だが、調査の時間は限られて居り、その解析は難航している。人も資金も不足していた。 解明の為には、研究所の枠をはみ出す様な大きなプロジェクトを組まねば為らない。 しかし、亜真野の意向で所長と成った中臣には、その様な力など殆ど無かった。亜真野を頼るしか致し方ない。 中臣は亜真野の気持ちを反らさぬ様に熱心に説明をし続けた。 「まだ、確証は無いのですが、言代主の怨霊では無いのか、と、そんな感じも持って居ります」 「エッ？、美保神社の？、あの言代主命ですか？」 「はい、墳墓の発掘も進んでいる、と聞いて居ますが、その関係者が相次いで、妙な事件に遭って居ります、 とても偶然では片付きません」中臣はファイルの中程を急いで開くと、数枚の紙片を亜真野に示した。どうやら何かのグラフらしい。 亜真野は話を促す様に中臣の方へと視線を向けた。 中臣が言った。「ご覧下さい、墳墓から半径、三十キロ地点で計った地磁気と重力の値です、数ヶ所で計ったのですが　・　・　 あ、これが重力で、そっちが地磁気ですね」「あ、なるほど」 「ごらんの様に異常なバラ付きを見せて居ります、特に重力は千酌の方に傾きながら変動します、垂直方向に対して、 零度二十分ほどですが、なまじの霊力ではありません」 中臣は目を逸らさずに話し続ける。 亜真野はそんな中臣に、この問題への異常な執着を読み取った。学者としての興奮も垣間見られる。 亜真野が進言を無視すれば、中臣は別の協力者を探すだろう。 下手をすると伏せて置きたい事柄が明るみに出されぬ、とも限らぬのである。 中臣は手の内に入れて置き、コントロールをする事が必要だった。 「止むを得ないか　・　・　」亜真野はそう断を下すと、中臣の意見を受け容れた。そして、言った。
	「ですが、調査の計画はあらかじめ教えて置いて下さいよ、資金の事も在りますしね、後は月に一度、 報告をして頂ければ良いでしょう、まあ、自由に遣って見て下さい」 「はっ、有り難う御座います」中臣は丁重に頭を下げると、ファイルを抱えて踵を返した。 が、何故だろう？ 亜真野が背後から呼び掛ける。 「は？、何でしょう？」中臣がくるりと振り向いた。 亜真野が言った。「あの、この問題は伏せて置いて下さいね、あくまでもフィールド探査、と言う事で通して下さい、 まだ、知らせる段階では在りませんから、よろしいですね？」 亜真野は釘を刺す事も忘れ無かった。
	その一週間後、中臣は研究所員で霊能者でもある壱岐真彦を呼び、約束の計画書を持って行かせた。 了解はすぐにでも貰える筈である。中臣は壱岐の帰りを心待ちした。だが、不可解である。壱岐の持ち帰った返答は全く意外な物だった。 調査団の派遣は見送りたい、と言う。 「何故なのか！」中臣はひどく戸惑った。そして、怒った。「何があなたに任せるだ、冗談じゃあ無い！ 一体、どう言う事なんだ？」 傍らの壱岐を振り向くと、八つ当たり気味に問い掛けた。 だが、壱岐も理由など聞いては居ない。戸惑い気味に首を傾げる。 亜真野の意図は何処にあるのか？ 中臣は想像を巡らすが、嫌がらせとしか思えない。 壱岐をその場に立たせたままで、部屋の中を歩き回った。意地悪そうな亜真野の顔が脳裏に浮かんで我慢が為らない。 「ようし、直談判だ！」中臣は手前の椅子を払い退けると、机上の電話に腕を伸ばした。 だが、何という間の悪さだろうか！ 電話のベルがやにわに鳴った。「くっ、誰だ？ こんな時に！」 中臣は忌々しげに受話器を上げた。と、それは何と亜真野である。すぐにこちらに来て欲しい、と言う。 「良いだろう、望むところだ！」中臣は計画書を小脇に抱えると、あわただしく部屋を飛び出した。 「やあ、中臣さん、先ほどはどうも失礼しました」中臣がドアを開けると、恐縮をした風に亜真野が迎えた。 「あ、いえ、それで、どのようなご用件です？」中臣は上げた拳をすかされて、仕方が無しにそう問うた。 と、亜真野は中臣を椅子に座らせて、押し殺した声で話を始めた。 「いや、実はですね、壱岐君には知られたく無かったもので、何も言わずに返したのですが、あれでは、どうも不味いんですよ　・　・　」 亜真野の話はこうだった。もし、中臣の予測が当たって居たなら、調査団は相当の危険に晒される。 だが、各構成員には怨霊の事は伏せられて居り、危機への認識など殆ど無かった。つまり、不意打ちを食らう訳である。 もしも怨霊が居るのなら、無事に済むとは思え無かった。 「まあ、そういう事で、何か別の方策を考えては頂け無いでしょうか、危険な事は避けたいのです」亜真野はそう述べ、話を終えた。 どのみち、自分の立場を考えて予防線でも張ったのだろうが、指摘自体は的を射ている。中臣としても納得をせざるを得なかった。
		だが、代替策は問題である。亜真野の意向を取り入れて、しかも、成果を上げるなど、二律背反も甚だしい。 「こんな事なら、最初に言えば良いじゃ無いか！」 だが、学長の亜真野を前にして、態度になどは表し兼ねる。 「分かりました、考えてみましょう」中臣は一応、話を承ると一礼をして踵を返した。 と、背後から亜真野がボソッと呼び掛ける。「あ、中臣さん、モルモットはどうでしょうかね？」 「えっ、何です？ それは　・　・　」「ええ、ちょっと思い付いただけなのですが　・　・　」 亜真野はそう前置きをすると、恐るべき話を語り始めた。
	それは一つの実験だった。研究所とは縁もゆかりも無い人間を目的を知らせずに募集して、美保関へと送り込む。 そして、彼等を何等かの方法でコントロールし、島根に居るであろう怨霊を刺激する。そうすれば、何等かの反応が現れるだろう。 そのデーターを遠隔操作で収集するのである。 これならば、モルモットが怨霊に襲撃されても、研究スタッフは安全だった。 「どうです？ 名案でしょう？」亜真野は冗談めかして、そう言った。だが、どうやら内心は本気らしい。中臣は思わずゾッ、とした。 霊能者すら危険な場所に、ずぶの素人を送り込むなど、正気の沙汰とも思われぬ。 悲惨な結果と成る事は日を見るよりも明らかだった。いや、それが亜真野の狙いなのかも知れ無い。 怨霊に捕らわれた人間が果たしてどう変わって行くのか？ この研究では実はその解明も重要だった。 だが、亜真野はその状況を意図的に作ろう、と言うのである。中臣は余りの事に絶句した。 亜真野が言った。「確かに、人道的に問題がない、とは言い切れません、ですが、他に方法が見当たら無い、まあ、 一つの案ではありますがね？」「し、しかし、犠牲者を出すのは　・　・　」 「でも、霊現象と決まった訳でも無いんでしょう？ 犠牲者が出るとは限りません、第一、放置できぬ、と言ったのは中臣さん、 あなたなんですよ？」何と恐ろしい男であろうか！中臣は内心、身震いしていた。 必要ならば、我が子であろうと差し出すだろう。憎しみの様な感情が心の奥底から浸み出していた。 だが、亜真野の言い分も分からぬでも無い。自分の予測が正しいのなら、あの怨霊はより多くの犠牲者を産み出すだろう。 その為にも、早急に事態を把握して、対応策を練らねば為らない。 しかしながら、亜真野の策など受け入れ兼ねた。「まあ、検討はしてみますがね？」中臣は呆れた風に言い残し、 そそくさと部屋を後にした。 さて、それから一週間が経過した。代替策は出来ては居ない。安全と迅速、そして、亜真野に課せられた守秘の義務、 余りにも制約が多過ぎる。中臣はふと気が付くと亜真野の案に捕らわれていた。 人間としてはともかく、学者としては興味のある提案では在ったのである。 「最小限の犠牲者で解決の方策が見付かるのなら、いや、そんな事は許されない！ くっそ、亜真野の奴！」
	中臣は揺れる心を押し殺し、他の方法を模索した。そして、また一週間が経過した。 亜真野からはどう成ったのか、と再三に渡る催促である。 この儘、時が経過をすれば、亜真野の事だ。手を引いて仕舞う事も考えられる。 亜真野の案が脳裏を掠めて、そして、中臣を突き上げた。 「だが、そんな恐ろしい事が出来るだろうか？ どうすりゃあ良いんだ！」中臣は自分の良心と魔性の狭間で、 身動き出来ずに苦悩していた。その間も、時間は矢の様に経過をして行く。 学者としての本能だろうか？ それとも、亜真野の意志に操られでもしたのだろうか？ 中臣はついに悪魔の計画に乗ったのだった。
	中臣は亜真野の了解を取り付けると、代理人を使って、潰れ掛かった旅行社、サンツーリストに資金を入れた。 事実上、其処のオーナーと成ったのである。そして、「オカルト・ツアー・山陰の旅」を企画させた。オカルト好きの人間を募り、 モルモットに仕立てるのが目的である。悪魔の計画は動き始めた。 オカルトツアーは予想外の反響である。応募者は定員数を遙かに越えた。そこで、中臣はアンケートの形式を取り、 心理テストなどを行って、その選別に取り組んだ。万が一、このツアーに霊能者などが紛れたならば、 実験に予期せぬ影響が出るかも知れない。 また、ツアー本来の目的が覚られぬとも限らぬのである。彼等の除外は当然であった。 そして、参加者の選別をし終えると、中臣は実験の為に、「オカルト体験のノウハウ」と、題した一冊のマニュアルを配布した。 それは参加者毎に少しづつ違って居り、彼等の為すべき一切が事細かに記述をされている。 更に、ツアーのメンバーとサンツーリストの社員達には、催眠による暗示も掛けられて居た。 霊体験をする毎に所員の詰める連絡事務所に逐次、報告をさせねば為らない。 催眠の目的はその指令と、為すべき行動の徹底であり、念を入れて実行された。 また、事務所への連絡はファクシミリによるものと決められた。
		万が一、彼等が怨霊に捕らえられ、操られた時、音声による接触は危険に思える。 彼等を通して探査され、招き寄せぬ、とも限らぬからである。 その為に、連絡事務所は霊現象の未だ及ばぬ浜松市街地に設置をされた。 この神経質とも思える用心深さは全てが亜真野の差し金である。 過剰とも思われるプロテクトが幾重にも掛けられ、初めて実験は動き始めた。 それにしても哀れなのは誘いに乗り、モルモットにされた参加者だった。隠された陰謀が在るなどとは想像すらも出来ぬだろう。 まだ見ぬ霊を想像し、喜々として死出の旅路へと向かうのだった。
Cotosiro