御大津姫命・蘇りたまえり.


	第八章　第三話　　　　　　御大津姫命・蘇りたまえり

	宮城はネッカチーフの女を尾行した後、数日に渡って亀戸での聞き込みを行った。その結果、祈言宗の祭神は祈言の神、と呼ばれており、御大津姫命の再来として祭られている事が判明した。祈言宗が邪教とすると、其処には御大津姫命が祟り神と成って蘇った、という、その様な意味合いも在りそうである。地元の商店主などの話では、信者達は時折、路地の縁などに座り込み、アクセサリーなどを売っていた。御神体を象ったバッジやブローチである、と言う。見せて貰うと、波間に逆さまの船が浮いている、その様な状況が描かれていた。記紀によれば、言代主命は美保関の沖合で、自ら船を転覆させて、海の藻屑と消えている。ご神体のデザインは、まさにその事を現しており、祈言宗という教団が言代主に関わる事は確実なように思われた。御大津姫命と言代主命とは、同じ美保神社に合祀されて居り、祈言の神の出現も、この事と無縁とは思われぬ。「言代主が御大津姫を呼んだのだろうか？それとも、言代主の怨念に御大津姫が共振したのか？」いずれにしても、この事は更なる異変を暗示していた。つまり、言代主の怨念があまたの祟りの神々を呼び覚まさぬ、とも限らぬのである。「出雲の全ての神々を呼び覚まそう、とでも言うのだろうか？」呪いの神々の蠢く様が一瞬、脳裏を過ぎって行った。宮城は今までの経緯から、祈言宗の本部は島根だろう、と考えていた。だが、調べて見ると、そうでは無く、石川県の羽咋市に所在している。何故、そんな所に本部が在るのか？ただの偶然とも思えぬのである。此処は早急に羽咋に赴き、調査をする事が必要だった。宮城はその旨を連絡しようと、札幌の影浦に電話を入れた。だが、電話に出たのは影浦では無く、妻の希倭子の方である。
		「あ、宮城さん？影浦なら、東京へ行ってます、先ほど、その件でお電話しましたのよ？お留守みたいでしたけど」そう言えば、影浦は近々、また中臣に会う、と言っていた。情報の交換が目的である。「で、道場へは何時頃、こられます？」「あ、それがはっきりしませんの、寄るとは言ってましたけど」だが、宮城は羽咋に行かねば為らない。すれ違いと成る事も考えられた。「やはり人手が足り無いな、連絡を取る事も儘ならない」宮城は少し苛立った。と、電話の相手が典子に変わった。「宮城さん、今、此処に新しい仲間が三人、居ます、着きたてのホヤホヤですけど、そちらへ行って貰いましょうか？」
	他ならぬ典子の見立てであるから、間違いなどは無いだろう。「おっ、早いとこ、頼むよ」宮城は即座に返事を返した。それにしても、人の欲しい状況と成った、そんな矢先での出来事である。「偶然にしては出来過ぎている」宮城はふっと呟いた。宮城は典子との通話をし終えると、すぐに羽咋行きの準備を始めた。だが、影浦との連絡が気に掛かる。留守番電話は付けて居ないし、やはり留守居は必要である。「だが、誰に頼もう？」メンバーはそれぞれ仕事に忙しい。「やっぱり、留守番電話だな、早く付けとくんだった」彼は恨めしそうに受話器を睨んだ。「書き置きでもして行こうか？」だが、その時、三木の事が脳裏を過ぎった。彼は此の処、気分が優れず、自宅に居る事が多いのである。今日は火曜日、三木の講義は無い筈なので、自宅に居るもの、と思われる。宮城は早速、電話を掛けた。「やあ、宮城君か、どうしたんだ？」「はあ、実は　・　・　」気は進まぬが致し方ない。学生を貸して欲しい、と言ってみた。三木が言った。「おい、困るなあ、学生だって忙しいんだぞ？まあ、君の頼みだから当たってみるけど、約束などは出来ないからな」「ところで、先生、座禅も最近はご無沙汰ですが、どうしたんです？たまには気分転換も必要ですよ？いえ、私は居りませんが」「あのな、体の良い、留守番にでも、使おうって言うんだろう？影浦の突き合う奴は油断が成らん、まあ、気が向いたらだな」三木はそう述べ、電話を切った。
	実を言えば、三木は今、精神科のカウンセリングに通っている。彼は秘密のつもりらしいが、宮城は先刻、承知をしていた。美保関の墳墓の件が三木を憂鬱にして居るらしい。座禅に来なく成ったのも、どうやら其処が原因していた。だが、彼は禅の初心者でもあり、精神の状態を考える時、それは危険な事だった。自己流の座禅は時として、悪霊などを引き寄せる。特に、閉じ籠もり勝ちな三木の場合、その危険性は高そうだった。座禅をする、し無いに関わらずである。一度、座禅を覚えて仕舞うと、彼の意識は時として瞑想の状態へと移行する。だが、自発的意志に拠らぬ故、本来的な瞑想では無い。心の状況が悪ければ、しばしば悪霊が取り付いたのである。
	初心者が座禅を行うのには、それなりの場所、それなりの指導が必要だった。宮城が三木を呼んだ裏には、その様な事情も在ったのである。鍵の隠し場所は知ってる筈だし、伝言はメモに認めてある。ああは言ったが、三木の事だ、何とか考えてはくれるだろう。宮城は用意をし終えると、早速、羽咋へと旅立った。さて、一方の影浦は会合場所のホテルを出ると、何とは無しに少し歩いた。時計を見ると、午後の四時。特に用事も思い付かない。彼はタクシーを捕らえると、宮城の道場へと直行させた。権力の権化、亜真野は既に防衛庁の奥深くにまで、魔の手を伸ばして居るのらしい。中臣は猿女なる制服組の人物が要注意である、とも言って居た。皆の亡霊を操る第二の敵は亜真野の一派に間違い無かった。「だが、自分の予測は何故、こうも当たるのだろう？」職業柄、推理には無論、自信はあるが、不可解な気分も拭い切れ無い。「事実が予測を追認している？だから、当たる？」ふと、そんな具合にも思うのである。だが、在り得ぬ話だ。彼はすぐに否定した。草嘉とも、いずれは会わねば為ら無いが、どうやら向こうは警戒している。そこらは注意が必要だった。影浦はタクシーを降りると、狭い路地へと入って行った。その両側には、古びた木造の住宅が軒を並べて連なっている。道場はその突き当たりに、古めかしい門構えで佇んでいた。影浦は足早に近付くと、玄関の戸をガラリ、と開けた。と、其処に、数人の若い男等がたむろして居る。殺気立った面持ちで、影浦の顔をジロリ、と睨んだ。「オオッ、何なんだ！？」影浦は異様な気配に圧倒されて、ジリッと一歩、退いた。が、その中に顔の見知った学生が居る。話を聞くと、三木が此処に来る途中、襲われたのだ、と述べ立てた。
		彼は今、離れで休んでいるのらしい。大した怪我は無いのらしいが、精神的ショックが心配である。影浦は廊下を急ぐと、離れの障子をソロッ、と引いた。そして、覗くと、青白い顔の三木が居る。顔付きも少し強ばって、興奮の面もちも感じ取られた。「おい、大丈夫か？」影浦は恐る恐る呼び掛けた。と、三木が突然、目を剥いた。「エーッ？大丈夫な訳が無いだろ！学生達が間に合ったから、助かったが、おい、一体、どう成ってるんだ？禅なんか、何の役にも立たんじゃ無いか！」余程のショックを受けたのらしい。「尾を引かなければ良いのだが」怪しい予感が脳裏を過ぎった。
	だが、彼を襲ったのは何者だろうか？言代主の手の者か？それとも、亜真野の手先であろうか？いきなりの暴力沙汰なら、ただの暴漢、とも考えられる。「で、襲った奴はどうしたんだ？」「うん、学生達が取り押さえてな、今頃は留置場だろう」鬱積したものを吐き出した所為か、その声は幾分、落ち着いている。「そ、そうか！じゃあ、安心だ、それにしても、怪我が無くって良かったよ、案外、ただの強盗かも知れんよ？」影浦は三木の肩をポン、と叩いた。と、三木が言った。「あっ、そうだ！宮城君の言伝が在る、これだよ」卓袱台のメモを取り上げると、影浦の前に差し伸べた。羽咋に入った宮城は寺家町の商店街で最初の聞き込みを行った。亀戸で調べた所では、祈言宗の本部は気多神社の側に所在をしている。目にした雑貨屋に立ち寄って、それと無く話を聞いてみた。すると、本部は気多神社の裏手に在る木材工場の跡地だ、と言う。工場は取り壊されて、もう無いが、事務所だった木造の建屋が残されており、本部は其処に在るのらしい。だが、工場の事務所が本部とは考えも付かぬ話であった。特殊な事情も在るのらしいが、詳しい話は分からぬのである。邪教との噂も囁かれて居り、地元に住まう人間は近付かぬようにして居るらしい。だが、教祖に付いては、新聞に載った事も在るらしく、多くの人間が知って居た。宮城が聞いた所では、教祖は巫女の経験を持ち、離婚歴の在る三十五、六才の美女である。名は南方美穂、と言うのらしい。彼女はある日、やにわに寺家町に現れて、その日の内に、その工場跡地を買い取ったのである。
	そして、祈言宗の看板を高々と掲げ、「我は御大津姫命の再来、祈言の神なり」と、触れ回った。だが、しばらくは信者も増えず、その奇怪な言動から、白い目で見られる事も多かった、と言う。さて、此処に言う御大津姫命とは、京都府、亀岡市の出雲大神宮に大国主命と共に祭られ、美保神社に於いては、言代主命と共に祭られる出雲系の女神であった。やはり合祀の意味が気に掛かる。宮城は熊野の話を思い浮かべた。熊野に拠れば、出雲大神宮は神体山を持ち、元出雲、とも呼ばれる歴史の古い神社である。神社の形態としては出雲大社などよりも更にずっと古いのらしい。また、出雲大社はこの神社を移転したものである、とする説すら存在している。其処で問題と成るのが祭神だった。
	熊野に拠れば、元出雲の本来の祭神は御大津姫命の一神である、と言う。また、熊野はこの女神が本来、岬で船を導く灯明の神であり、その故に外来の文化を導く港の神、として崇められたのではないのか、とも語ったのである。日本風の自由の女神が連想される。古代の海は今の京都付近にまで迫って居たので、この神が京都に在っても不思議な事は何も無かった。あるいはこの女神は遥か古代、最も尊ばれた神であった可能性も無しとはしない。また、その祭主が言代主であった事も想像し得た。勿論、この言代主は固有名詞では無く、称号としてのものである。しかし、畿内の覇権はやがて大国主に握られる。そして、元出雲の祭祀権も言代主から大国主へと譲られたのである。大国主も言代主一族の血を引いて居る。その事が祭祀権の移譲を容易にしたのでは無いのか、熊野はそう考えていた。大国主がこの神社に祭られた事を考える時、その見解は妥当なものとも思われる。つまり、その祭祀権の委譲は言代主の勢力範囲が山陰地方へと押し込められた、象徴的な出来事だった。神々は誰であっても何処であっても祭り得る。祭祀権の移譲は想像以上に行われた様にも思われた。当時、御大津姫命を祭る正当なる祭主、言代主は盟主としての地位を失い、地方豪族に没落している。従って、他の地域に於ける祭事にあっては別の祭主、例えば、大国主などにより祭られたのに違い無かった。女神に取っては好ましからざる状況ではある。だが、それは絶えざる悲運に見舞われる、ほんのプロローグにしか過ぎぬのだった。大和の東征の故である。言代主の一族は抵抗も空しく破れ果て、言代主も自殺した。言代主、という称号も、その激動の中で消されたのである。そして、同じく御大津の女神も、その輝きを失った。神に取って、これほどの悲劇が在るであろうか？最後の言代主、悲運の祭主は彼の祭るべき神の懐、美保津の沖で死んで居る。それが御大津姫命への、せめてもの懺悔では無かっただろうか？言代主の根深い恨みは御大津姫の恨み、とも言えそうだった。
		さて、自らを御大津姫命の再来、と言い、祈言の神なり、と称するこの女は言の神の出現を予言していた。「島根にて尊き古墳、見出されし時、言の神、地から湧き出、おごりたる者を懲らすであろう、その魂は八つ裂きにされ、人間で在る事を許されぬ、貧しき者は遥か頭上に豚や鰐を見るであろう！」彼女はそう触れ回り、天変地異、来たらん事をも説いたのである。千酌の墳墓が見付かったのは、それから僅か半年ほど後の事なのだった。予言を知る者の間では、その墳墓と祈言宗との関わりも囁かれている。言の神は言代主命の別称、との噂もまことしやかに囁かれ、狂人呼ばわりをされたこの教祖が一躍、注目を浴びたのだった。
	彼女が新聞に載ったのも、丁度、この頃の事である。人々の見る目は急に変わって、入信する者もやにわに増えた。だが、この頃から、信者等の奇行が目立ち始める。そして、彼等の周りには、悲惨な事件も頻発していた。財産を失い失踪する者、自殺する者、あるいは、事故などで死亡する者など、多くの不幸が彼等を襲った。だが、彼等はそれを試練と称し、その行動は益々、異常を極めた。心ある者は忠告したが、聞く耳などは無いのらしい。逆に、我が神を冒涜するのか、などと、非難を仕掛ける有様である。邪教と噂をされるのに、そうは時間も掛から無かった。おそらく彼等は無意識ながら、自らが奈落へと落ちた事を知っていた。その事がおごれる魂、自由なる魂への嫉妬を産み出し、攻撃心を募らせたのである。自分の身近に居る者は自分より自由であっては為らず、幸せであっては為らなかった。無論、これは彼らの専売特許ではなく、魂を病んだ者達の逃れ難き性癖なのだが、祈言宗には、それを引き出し、巧みに操る怨霊が居る。祟り神と化した言代主と御大津姫の怨霊だった。彼等は今、日本の住人全てに対し、猜疑の心を吹き込んで、迷える魂をあまた産み出し、滅ぼさん、として居るのである。そして、その様な怨霊を産み出したのは、他でも無い、全ての日本の住人の自らの魂への無理解だった。



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	第八章　第三話　　　　　　御大津姫命・蘇りたまえり

	宮城はネッカチーフの女を尾行した後、数日に渡って亀戸での聞き込みを行った。その結果、祈言宗の祭神は祈言の神、と呼ばれており、御大津姫命の再来として祭られている事が判明した。祈言宗が邪教とすると、其処には御大津姫命が祟り神と成って蘇った、という、その様な意味合いも在りそうである。地元の商店主などの話では、信者達は時折、路地の縁などに座り込み、アクセサリーなどを売っていた。御神体を象ったバッジやブローチである、と言う。見せて貰うと、波間に逆さまの船が浮いている、その様な状況が描かれていた。記紀によれば、言代主命は美保関の沖合で、自ら船を転覆させて、海の藻屑と消えている。ご神体のデザインは、まさにその事を現しており、祈言宗という教団が言代主に関わる事は確実なように思われた。御大津姫命と言代主命とは、同じ美保神社に合祀されて居り、祈言の神の出現も、この事と無縁とは思われぬ。「言代主が御大津姫を呼んだのだろうか？それとも、言代主の怨念に御大津姫が共振したのか？」いずれにしても、この事は更なる異変を暗示していた。つまり、言代主の怨念があまたの祟りの神々を呼び覚まさぬ、とも限らぬのである。「出雲の全ての神々を呼び覚まそう、とでも言うのだろうか？」呪いの神々の蠢く様が一瞬、脳裏を過ぎって行った。宮城は今までの経緯から、祈言宗の本部は島根だろう、と考えていた。だが、調べて見ると、そうでは無く、石川県の羽咋市に所在している。何故、そんな所に本部が在るのか？ただの偶然とも思えぬのである。此処は早急に羽咋に赴き、調査をする事が必要だった。宮城はその旨を連絡しようと、札幌の影浦に電話を入れた。だが、電話に出たのは影浦では無く、妻の希倭子の方である。
		「あ、宮城さん？影浦なら、東京へ行ってます、先ほど、その件でお電話しましたのよ？お留守みたいでしたけど」そう言えば、影浦は近々、また中臣に会う、と言っていた。情報の交換が目的である。「で、道場へは何時頃、こられます？」「あ、それがはっきりしませんの、寄るとは言ってましたけど」だが、宮城は羽咋に行かねば為らない。すれ違いと成る事も考えられた。「やはり人手が足り無いな、連絡を取る事も儘ならない」宮城は少し苛立った。と、電話の相手が典子に変わった。「宮城さん、今、此処に新しい仲間が三人、居ます、着きたてのホヤホヤですけど、そちらへ行って貰いましょうか？」
	他ならぬ典子の見立てであるから、間違いなどは無いだろう。「おっ、早いとこ、頼むよ」宮城は即座に返事を返した。それにしても、人の欲しい状況と成った、そんな矢先での出来事である。「偶然にしては出来過ぎている」宮城はふっと呟いた。宮城は典子との通話をし終えると、すぐに羽咋行きの準備を始めた。だが、影浦との連絡が気に掛かる。留守番電話は付けて居ないし、やはり留守居は必要である。「だが、誰に頼もう？」メンバーはそれぞれ仕事に忙しい。「やっぱり、留守番電話だな、早く付けとくんだった」彼は恨めしそうに受話器を睨んだ。「書き置きでもして行こうか？」だが、その時、三木の事が脳裏を過ぎった。彼は此の処、気分が優れず、自宅に居る事が多いのである。今日は火曜日、三木の講義は無い筈なので、自宅に居るもの、と思われる。宮城は早速、電話を掛けた。「やあ、宮城君か、どうしたんだ？」「はあ、実は　・　・　」気は進まぬが致し方ない。学生を貸して欲しい、と言ってみた。三木が言った。「おい、困るなあ、学生だって忙しいんだぞ？まあ、君の頼みだから当たってみるけど、約束などは出来ないからな」「ところで、先生、座禅も最近はご無沙汰ですが、どうしたんです？たまには気分転換も必要ですよ？いえ、私は居りませんが」「あのな、体の良い、留守番にでも、使おうって言うんだろう？影浦の突き合う奴は油断が成らん、まあ、気が向いたらだな」三木はそう述べ、電話を切った。
	実を言えば、三木は今、精神科のカウンセリングに通っている。彼は秘密のつもりらしいが、宮城は先刻、承知をしていた。美保関の墳墓の件が三木を憂鬱にして居るらしい。座禅に来なく成ったのも、どうやら其処が原因していた。だが、彼は禅の初心者でもあり、精神の状態を考える時、それは危険な事だった。自己流の座禅は時として、悪霊などを引き寄せる。特に、閉じ籠もり勝ちな三木の場合、その危険性は高そうだった。座禅をする、し無いに関わらずである。一度、座禅を覚えて仕舞うと、彼の意識は時として瞑想の状態へと移行する。だが、自発的意志に拠らぬ故、本来的な瞑想では無い。心の状況が悪ければ、しばしば悪霊が取り付いたのである。
	初心者が座禅を行うのには、それなりの場所、それなりの指導が必要だった。宮城が三木を呼んだ裏には、その様な事情も在ったのである。鍵の隠し場所は知ってる筈だし、伝言はメモに認めてある。ああは言ったが、三木の事だ、何とか考えてはくれるだろう。宮城は用意をし終えると、早速、羽咋へと旅立った。さて、一方の影浦は会合場所のホテルを出ると、何とは無しに少し歩いた。時計を見ると、午後の四時。特に用事も思い付かない。彼はタクシーを捕らえると、宮城の道場へと直行させた。権力の権化、亜真野は既に防衛庁の奥深くにまで、魔の手を伸ばして居るのらしい。中臣は猿女なる制服組の人物が要注意である、とも言って居た。皆の亡霊を操る第二の敵は亜真野の一派に間違い無かった。「だが、自分の予測は何故、こうも当たるのだろう？」職業柄、推理には無論、自信はあるが、不可解な気分も拭い切れ無い。「事実が予測を追認している？だから、当たる？」ふと、そんな具合にも思うのである。だが、在り得ぬ話だ。彼はすぐに否定した。草嘉とも、いずれは会わねば為ら無いが、どうやら向こうは警戒している。そこらは注意が必要だった。影浦はタクシーを降りると、狭い路地へと入って行った。その両側には、古びた木造の住宅が軒を並べて連なっている。道場はその突き当たりに、古めかしい門構えで佇んでいた。影浦は足早に近付くと、玄関の戸をガラリ、と開けた。と、其処に、数人の若い男等がたむろして居る。殺気立った面持ちで、影浦の顔をジロリ、と睨んだ。「オオッ、何なんだ！？」影浦は異様な気配に圧倒されて、ジリッと一歩、退いた。が、その中に顔の見知った学生が居る。話を聞くと、三木が此処に来る途中、襲われたのだ、と述べ立てた。
		彼は今、離れで休んでいるのらしい。大した怪我は無いのらしいが、精神的ショックが心配である。影浦は廊下を急ぐと、離れの障子をソロッ、と引いた。そして、覗くと、青白い顔の三木が居る。顔付きも少し強ばって、興奮の面もちも感じ取られた。「おい、大丈夫か？」影浦は恐る恐る呼び掛けた。と、三木が突然、目を剥いた。「エーッ？大丈夫な訳が無いだろ！学生達が間に合ったから、助かったが、おい、一体、どう成ってるんだ？禅なんか、何の役にも立たんじゃ無いか！」余程のショックを受けたのらしい。「尾を引かなければ良いのだが」怪しい予感が脳裏を過ぎった。
	だが、彼を襲ったのは何者だろうか？言代主の手の者か？それとも、亜真野の手先であろうか？いきなりの暴力沙汰なら、ただの暴漢、とも考えられる。「で、襲った奴はどうしたんだ？」「うん、学生達が取り押さえてな、今頃は留置場だろう」鬱積したものを吐き出した所為か、その声は幾分、落ち着いている。「そ、そうか！じゃあ、安心だ、それにしても、怪我が無くって良かったよ、案外、ただの強盗かも知れんよ？」影浦は三木の肩をポン、と叩いた。と、三木が言った。「あっ、そうだ！宮城君の言伝が在る、これだよ」卓袱台のメモを取り上げると、影浦の前に差し伸べた。羽咋に入った宮城は寺家町の商店街で最初の聞き込みを行った。亀戸で調べた所では、祈言宗の本部は気多神社の側に所在をしている。目にした雑貨屋に立ち寄って、それと無く話を聞いてみた。すると、本部は気多神社の裏手に在る木材工場の跡地だ、と言う。工場は取り壊されて、もう無いが、事務所だった木造の建屋が残されており、本部は其処に在るのらしい。だが、工場の事務所が本部とは考えも付かぬ話であった。特殊な事情も在るのらしいが、詳しい話は分からぬのである。邪教との噂も囁かれて居り、地元に住まう人間は近付かぬようにして居るらしい。だが、教祖に付いては、新聞に載った事も在るらしく、多くの人間が知って居た。宮城が聞いた所では、教祖は巫女の経験を持ち、離婚歴の在る三十五、六才の美女である。名は南方美穂、と言うのらしい。彼女はある日、やにわに寺家町に現れて、その日の内に、その工場跡地を買い取ったのである。
	そして、祈言宗の看板を高々と掲げ、「我は御大津姫命の再来、祈言の神なり」と、触れ回った。だが、しばらくは信者も増えず、その奇怪な言動から、白い目で見られる事も多かった、と言う。さて、此処に言う御大津姫命とは、京都府、亀岡市の出雲大神宮に大国主命と共に祭られ、美保神社に於いては、言代主命と共に祭られる出雲系の女神であった。やはり合祀の意味が気に掛かる。宮城は熊野の話を思い浮かべた。熊野に拠れば、出雲大神宮は神体山を持ち、元出雲、とも呼ばれる歴史の古い神社である。神社の形態としては出雲大社などよりも更にずっと古いのらしい。また、出雲大社はこの神社を移転したものである、とする説すら存在している。其処で問題と成るのが祭神だった。
	熊野に拠れば、元出雲の本来の祭神は御大津姫命の一神である、と言う。また、熊野はこの女神が本来、岬で船を導く灯明の神であり、その故に外来の文化を導く港の神、として崇められたのではないのか、とも語ったのである。日本風の自由の女神が連想される。古代の海は今の京都付近にまで迫って居たので、この神が京都に在っても不思議な事は何も無かった。あるいはこの女神は遥か古代、最も尊ばれた神であった可能性も無しとはしない。また、その祭主が言代主であった事も想像し得た。勿論、この言代主は固有名詞では無く、称号としてのものである。しかし、畿内の覇権はやがて大国主に握られる。そして、元出雲の祭祀権も言代主から大国主へと譲られたのである。大国主も言代主一族の血を引いて居る。その事が祭祀権の移譲を容易にしたのでは無いのか、熊野はそう考えていた。大国主がこの神社に祭られた事を考える時、その見解は妥当なものとも思われる。つまり、その祭祀権の委譲は言代主の勢力範囲が山陰地方へと押し込められた、象徴的な出来事だった。神々は誰であっても何処であっても祭り得る。祭祀権の移譲は想像以上に行われた様にも思われた。当時、御大津姫命を祭る正当なる祭主、言代主は盟主としての地位を失い、地方豪族に没落している。従って、他の地域に於ける祭事にあっては別の祭主、例えば、大国主などにより祭られたのに違い無かった。女神に取っては好ましからざる状況ではある。だが、それは絶えざる悲運に見舞われる、ほんのプロローグにしか過ぎぬのだった。大和の東征の故である。言代主の一族は抵抗も空しく破れ果て、言代主も自殺した。言代主、という称号も、その激動の中で消されたのである。そして、同じく御大津の女神も、その輝きを失った。神に取って、これほどの悲劇が在るであろうか？最後の言代主、悲運の祭主は彼の祭るべき神の懐、美保津の沖で死んで居る。それが御大津姫命への、せめてもの懺悔では無かっただろうか？言代主の根深い恨みは御大津姫の恨み、とも言えそうだった。
		さて、自らを御大津姫命の再来、と言い、祈言の神なり、と称するこの女は言の神の出現を予言していた。「島根にて尊き古墳、見出されし時、言の神、地から湧き出、おごりたる者を懲らすであろう、その魂は八つ裂きにされ、人間で在る事を許されぬ、貧しき者は遥か頭上に豚や鰐を見るであろう！」彼女はそう触れ回り、天変地異、来たらん事をも説いたのである。千酌の墳墓が見付かったのは、それから僅か半年ほど後の事なのだった。予言を知る者の間では、その墳墓と祈言宗との関わりも囁かれている。言の神は言代主命の別称、との噂もまことしやかに囁かれ、狂人呼ばわりをされたこの教祖が一躍、注目を浴びたのだった。
	彼女が新聞に載ったのも、丁度、この頃の事である。人々の見る目は急に変わって、入信する者もやにわに増えた。だが、この頃から、信者等の奇行が目立ち始める。そして、彼等の周りには、悲惨な事件も頻発していた。財産を失い失踪する者、自殺する者、あるいは、事故などで死亡する者など、多くの不幸が彼等を襲った。だが、彼等はそれを試練と称し、その行動は益々、異常を極めた。心ある者は忠告したが、聞く耳などは無いのらしい。逆に、我が神を冒涜するのか、などと、非難を仕掛ける有様である。邪教と噂をされるのに、そうは時間も掛から無かった。おそらく彼等は無意識ながら、自らが奈落へと落ちた事を知っていた。その事がおごれる魂、自由なる魂への嫉妬を産み出し、攻撃心を募らせたのである。自分の身近に居る者は自分より自由であっては為らず、幸せであっては為らなかった。無論、これは彼らの専売特許ではなく、魂を病んだ者達の逃れ難き性癖なのだが、祈言宗には、それを引き出し、巧みに操る怨霊が居る。祟り神と化した言代主と御大津姫の怨霊だった。彼等は今、日本の住人全てに対し、猜疑の心を吹き込んで、迷える魂をあまた産み出し、滅ぼさん、として居るのである。そして、その様な怨霊を産み出したのは、他でも無い、全ての日本の住人の自らの魂への無理解だった。



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