第一章　第三話
	宮城の体験
	宮城と名乗るこの男は自分の不思議な体験を淡々として語り始めた。それが影浦の命の危険にも関わるらしい。 影浦は男の話を黙って聞いた。 この男は以前、新宿に在る彼の自宅でヨガの道場を経営していた。その建物は武家屋敷風の古い家屋で、 祖父からの贈与として転がり込んだものなのらしい。とにかく道場は時流にも乗り、収入は当初の予想を遙かに超えた。 だが、二年ほど前の事である。彼は突如、その道場を締めて仕舞った。営業の手前、それらしき肩書きも名乗っていたが、 実際には大した修行をした訳でも無く、むしろ、指導者としての経験が身に成って居る、と言う有様である。 道場は相も変わらぬ盛況ではあったが、幾分かヨガが分かって来ると、商売で道場を始めた事が妙に何か後ろめたい。 ヨガに対する自分の姿勢を考え直す事が必要だった。「蓄えは在るし、慌てる事も無いだろう」 宮城は閉じた道場に引き篭もり、ひたすら座禅に没頭していた。 だが、何故、その様な心境と成ったのだろうか？ 時折はそのような疑問が心を過ぎって、不可解な心理にも駆られたが、 生活自体は充実して居り、余り深くは考え無かった。 そして、一年が経過した。宮城には不思議な霊力が養われていた。だが、それほどの 修行など出来ては居らず、会得したもの、とも思えない。得体の知れぬ何かによって与えられた、としか思えぬのである。 「だが、誰が、何の為に？」不可解な疑念が其処に生じた。 だが、その疑念はやがて、その何者かへの憧れへと変貌して行く。啓示の予感すら感じるのである。 宮城は幾分、戸惑った。おそらく、以前の宮城なら、気の迷い、とでも考えて、すぐに打ち消した事だろう。 だが、当時の彼は少し違った。啓示の到来を期待したのである。
		「ほう？それは不思議なお話ですね」影浦は男の様子を窺いながら、そんな具合に話を受けた。無論、まともには聞いては居ない。 影浦を見る男の眼は奇妙に鋭く、異様な気配も威圧して来る。 「やはり、こいつは頭がおかしい、こんなんじゃあ、一喝する訳にも行かんだろうし、どうしようか？」 対応をもしも誤れば、その男自身が自分の予告を実現しよう、と、暴挙に出ぬとも限らぬのである。 「上手くあやして、サッサと、お引き取りを頂こう」影浦は腹の底で呟いた。 と、男の眼が影浦を射る。 そして、早口で述べ立てた。「いえ、すぐに信じろ、とは言いません、でも、もう少し話を聞いて下さい！」目つきが一層、鋭く成った。
	それは五日ほど前の出来事である。宮城はいつもの様に瞑想していた。と、彼の脳裏に不可思議なイメージが送られて来る。 荘厳でありながら悲しげで、何やら恐ろしげでも在るような、不可解極まるイメージである。 宮城が意識を集中すると、それは神社として像を結んだ。漆黒の闇に佇んで、真紅の蛍光を放射している。 「美保の神社だ！」宮城の直感がそう言った。と、心の最深部から何かが突き上げ、美保関への旅をしきりに誘う。 「啓示であるのに違い無い」宮城はそう確信をした。事の子細は分からぬが、宮城はすぐに旅立った。 宮城は出雲に着くと、レンタカーを借り、国道の九号線をまずは松江へと走らせた。待望の啓示ではあるものの、 座禅中に見たイメージからは不吉な印象も読み取れる。「啓示の主は何者だろうか？ 何をさせようと言うのだろう？」 一抹の不安は隠せなかった。既に宍道湖も見え始めている。いずれにしても、答えはもうじき見出せるだろう。 宍道湖のさざ波がキラキラとして、真夏の陽光を反射している。行楽で行き交う車やバスも心なしか輝いていた。心が浮き立つ。 知らぬ間に不安は期待に押し隠されて、緊張感が少し緩んだ。 だが、松江を過ぎた辺りから、その雲行きが変わり始める。怪しげな風が吹き始めると、異様な霊波が漂い始めた。 美保関の辺りから来るのらしいが、気配からして、啓示の主、とは思え無い。強烈な邪念を放出していた。 「チッ、飛んでも無い物に出会して仕舞った！」宮城はアクセルを少し緩めた。 だが、霊波のもたらす印象は座禅中に見た、あの神社の赤のイメージである。啓示との関連が推測された。 啓示の何たるかを知るのには霊波を辿るしか無いのらしい。恐れが宮城を苛むが、彼は車を走らせた。 しばらく行くと、林へと入る脇道がある。「あそこに止めよう！」宮城は其処へと車を入れた。国道とは打って変わって、 人の気配が感じられ無い。彼はしばらく車を走らせ、適当なところで路肩に止めた。エンジンを切って、窓を開けると、 小鳥の囀りが耳を擽る。木々を透かして辺りを見ると、のどかな田園が広がっていた。
	今も感じられる恨みの念とは余りにも異質な光景である。夢の中にでも居る様な、そんな錯覚にも捕らわれていた。 だが、宮城はこれから、こののどかな風景を後にして、恐ろしい霊波を辿ろうとしている。 「これは紛いも無い現実なのだ！」宮城は深く息を吸い、ゆっくりと、そして、静かに吐き出した。 意識を無へと導いて、念波の徒な放出を極力、抑える為である。怨霊に彼の存在を覚らせぬ、宮城苦肉の策略だった。 後は然るべき時に意識を戻し、その間の記憶を呼び覚ますのである。 全てが初めての試みで心配であったが、今の宮城には、遣るしか無かった。
	「影浦さん、あの霊波の主は言代主のようでした」突然、宮城の声がして、影浦はハッ、と我に返った。 不覚にも宮城の話に引き込まれ、我を忘れて居たのらしい。影浦は妙な感覚に襲われて、思わず知らず頭を振った。 だが、宮城などに気取られるのは、どうにも腹に据えかねる。「ああ、あの言代主命ですね？ で？」 影浦はそんな具合にサラリと言って、宮城の話を促した。宮城が淡々と話を始める。影浦も何食わぬ顔で話を聞いた。 霊波の探索を終え、車に戻った宮城はすぐに意識を回復させた。その間の記憶を再生し、霊波の主を見ねば為らない。 彼はシートに身体を委ね、息を整え、目を閉じた。が、何故だろう？ 一瞬、痛みが頭脳を駆け抜け、宮城の集中を妨げる。 気が付くと、恐ろしいほどの怒りの念が辺りの空気を震わせて居た。 「怨霊なのに違い無い！」招かれざる客の侵入に勘付いたのに違い無かった。この場に留まるのは危険に思える。 エンジンキーを慌てて回して、急遽、車を発進させた。何時しか青空は掻き消えて、灰色の雲が垂れ込めている。 幾重もの稲妻が天を駆け抜け、恐ろしい雷鳴が轟き渡った。 「あれも怨霊の仕業だろうか？」ならば、地縛霊の域を遙かに越える悪魔的な霊象である。 この様子では、出雲に着いても必ずしも安全とは言い切れ無かった。車は何事も無く走って居るが、言い知れぬ不安が宮城を苛む。 彼は警戒を怠らなかった。 と、何故だろう？怒りの霊波とは別物の異様な波動を肌に感じる。エコーの様な波動であった。 招かれざる客を取り殺そうと、探査してでも居るのだろうか？それは今、出雲の方角へと放射をしていた。 もしも、それが宮城を捕らえ、怨霊がキャッチでもしたのなら、たちどころに此処に現れて、襲って来るのに違い無い。 車のラジオの雑音も不自然なまでに増加している。この儘、進むのは危険に思えた。 宮城は松江に入ると、レンタカーを取り替え、 出雲とは逆の米子へと車を走らせた。今しがたまでの車には宮城の気配が染み付いている。 自分の気配を分散し、エコーの攪乱を計るのだった。効果の程は分からぬが、幾分かの期待は出来るだろう。 米子にはまだ霊的なエコーは感じられ無い。時間は稼げる筈だった。
		宮城はハンドルを右手に預けると、助手席のバッグに目を遣った。確か其処には東亜国内航空の時刻表が在る筈である。 左手だけでバッグを開けると、中身を助手席へとぶちまけた。 洗面道具がドサッ、と転がり、時刻表がヒラリと落ちる。彼は素早く拾い取り、行き先と時刻とを読み取った。 東京への直行便は無いが、大阪行きの６７０便が丁度、良い。十九時三十分の出航である。急がねばならない。 彼は更にアクセルを踏み込んだ。 最前から降り出した陰気な雨が突然、激しく降り注ぐ。飛礫のように音を立て、フロントガラスをしきりと叩いた。 それが何故か宮城には、無数の羽虫にも思われる。「所在が知れた証であろうか？」不吉な予感が脳裏を過ぎった。
	と、何故だろう？ ラジオの曲がやにわに止まった。「ん？故障か？」戸惑いながらラジオを覗くと、「臨時ニュースを申し上げます！」 と、緊迫した声がやにわに響く。どうやら、事故の一報らしい。 松江から出雲へと向かう乗用車が路外に飛び出し、その儘、山陰本線を走行中の急行列車に激突、車は大破炎上し、列車も脱線、 転覆、死傷者もかなりの数に昇る、と言う。勿論、車のドライバーは即死していた。しかも、その車はレンタカーである、と言う。 宮城が松江で取り換えた、あのレンタカーなのに違い無かった。 その車のドライバーは宮城の身代わりと成って死んだのである。 「くそっ、何と言う事を！車を換えなければ、こんな事には！」自責の念が苛んだ。だが、その所為で自分は今も生きている。 複雑な想いが脳裏を巡った。 「どうしました？大丈夫ですか？」影浦は宮城の声で我に帰った。割れ鐘の様に頭が鳴って、酷い疲れが押し寄せて居る。 「いえ、大丈夫です、此の処、寝不足なんで、多分、疲れでも出たんでしょう」影浦は笑みを浮かべて返事を返した。 だが、意識は妙に混濁している。「どういう事だ？」影浦は内心、頭をひねった。 何とは無しに時間が気に成る。 彼は腕の時計に目を遣った。だが、何かがおかしい。宮城の話を聞き始めてから、まだ十分と経っては居ないのである。 「えっ、そんな筈は　・　・　」影浦は妙な気分で顔を上げ、店の時計に目を遣った。 だが、腕の時計と大差は無い。 「エッ？こいつは一体？」影浦は一瞬、動揺し、宮城と時計とを見比べた。 宮城がジッ、とこちらを見ている。白い歯を見せ、ニッ、と笑った。「どうやら、お気付きに成った様ですね、どうです？ 少なくとも、 ただの阿呆では無いでしょう？」全てがお見通し、と言う顔付きである。 宮城の不思議な力の事は認めて遣るしか仕方が無かった。「まるで、悪夢だ！」影浦は腹の奥底で呟くと、怪しい男を上目で眺めた。 だが、彼の能力を認める事と信用するという事は違う次元の問題である。むしろ、得体の知れ無さが余計に疑心を募らせた。 「何を企んで居るのだろうか？」影浦は男の狙いを模索した。
	だが、良からぬ企みが在るのなら、こんな信じ難い話をするだろうか？ もっと自然な遣り方で、接近するように思われる。 昨日の夢は何かの知らせで、男が真実を述べている証である、と言う事も考えられる。「だが、本当にそうなのか？」 宮城と名乗るこの男は異様な力を持つのらしい。それを利用した、という事は無いのだろうか？ ありきたりの話では駄目、と見て、 大芝居を打った事も考えられる。「ああ、分からん！」考えは纏まるどころか、益々、混乱を極めて行った。 第一、今までの男の話が自分の危険と、どう繋がるのだろう？宮城はまだ、一言も触れては居ないのである。 「其処はどうなんです？」影浦は努めて平静を装いながら、上目遣いでそう問うた。
	と、宮城が言う。 「あ、済みませんが、もう少し聞いて頂けますか？順を追って話しますから　・　・　」余りに軽い物言いが逆に不安を募らせた。
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