崩壊.


第十四章　第一話
	崩壊

	ある日、とある分署に密告電話が掛けられた。強盗の計画が在る、と言う。だが、電話の在ったのは午後の九時過ぎ、犯行予定時刻の僅か三十分ほど前の事である。しかも、密告者は名前も告げず、その時刻、場所を伝えると、すぐに電話を切っていた。悪ふざけとも考えられるが、放置は出来ない。係官は取り合えず狙われた家へと電話を掛けた。だが、応答は無い。留守、という事も在り得るが、確認を取る事は必要である。係官は急遽、近くの派出所に連絡を取り、巡回中のパトカーに無線で知らせた。派出所の警官、山田は分署からの連絡を受けると、仲間の武田と現場に向かった。だが、月は厚い雲に覆われて、今にも降り出しそうな雲行きである。「よりによって、こんな時に、堪らんな」ふたりはぶつぶつと呟きながら、自転車のペダルを踏み込んだ。予告に在ったその家は古色蒼然とした洋館である。近所の子供等の間では、化け物屋敷とも囁かれている陰気な感じの洋館だった。其処に今、強盗犯が居るのかも知れ無い。陰惨なイメージがやにわに膨らみ、彼等の脳裏を過ぎって行った。既にその洋館も間近に見える。自転車を降りると路肩に置いて、鉄柵ぞいに歩き始めた。それにしても、敷地は広い。鉄柵に囲まれた庭の中には、鬱蒼とした木々が生い茂り、黒いシルエットを成して佇んでいる。その狭間からは洋館がやはり黒い影を成し、不気味な想いを抱かせた。やにわに寒気が山田を襲う。身体をブルッ、と震わせた。通用門に目を遣ると、扉は堅く閉ざされて居る。薄気味の悪さは感じるものの夜とも成れば、それは何時もの事だった。「おい、悪戯じゃあ無いのか？」武田が小声で、そう言った。この辺りは閑静な住宅街で、事件らしい事件など、武田には全く覚えが無い。「うん、けど、パトカーが来るまで、一回りしようや」山田はそう促すと、表の門へと歩き始めた。
		だが、辺りは何時もの静けさである。車の往来は在るものの、路上駐車も見られ無い。放置された自転車が歩道の脇に在るだけだった。子供用の自転車である。遊びに惚けて、忘れて行ったのに違い無い。「やっぱり、悪戯だな、こりゃあ」武田は決め付けた様に呟いた。山田が言った。「けど、何で、こんな悪戯なんか、ひょっとして、そこらから見てるんじゃ無いのか？」彼等は辺りを見回しながら、表の門へと歩き始めた。時々は鉄柵越しに中を覗くが、変わった様子も見られ無い。「サッサと済ませて、早く帰ろう、てね？今日の標語だ」武田が急に拍子を付けて、そんな風に小声で言った。だが、正門が近付くと山田が言った。「おい、変じゃあ無いか？あれ」「エッ？」
	「あれだよ！」山田が扉を指で示した。武田が見ると、観音開きの扉の合い目が心持ち、ずれて居る様に思われる。「な？開いてるだろ？」山田がそう言い、歩き始めた。近くに寄って見てみると、やはり扉は開いている。「妙だな？」武田が小声でボツリ、と言った。此処の家人は用心深く、半開きの儘で放置をするなど、考えられぬ事である。何とは無しに扉を開けると、吸い込まれる様に中へと入った。其処からは、石畳の舗装が木々を縫い、蛇行をしながら中へと続く。奥の方には、不気味な感じの洋館が無表情に佇んでいた。だが、鬱蒼とした庭木が邪魔をして玄関の辺りはまるで見え無い。「も、もう少し行ってみようや」山田は芝生の上を歩き始めた。だが、辺りは全くの暗闇である。大木から垂れ下がる枝や葉が魔物の様に覆い被さり、わずかな光すら遮っていた。「き、肝試しには丁度、良いよな」武田が辺りを見回しながら、ボソッ、と一言、囁いた。少し行き、石畳の向こうを覗いてみると、ポーチの出っ張りが確認出来る。だが、門灯は何故か点いては居らず、辺りは全くの闇である。意図的に誰かが消したのか？あるいは、ただの故障だろうか？二人は腰を更に屈めて、再び前へと歩み始めた。と、ガサッ、と妙な音がする。「誰か居る！」二人は咄嗟に身を伏せた。音は玄関脇の植え込みの辺りだ。「何だろう？」ソッと植え込みを覗いて見ると、蠢く影が微かに見えた。「見張りだろうか？それにしては動きが妙だが」だが、辺りは全くの暗闇で、確認をする事は出来ぬのである。屋敷には、此処の家人も居る筈で、迂闊に近付くのは危険に思えた。
	「どうしよう　・　・　」武田が目配せで、そう言った。パトカーも直、着く筈である。「一旦は戻ろう」二人は足を忍ばせて、そろっ、と後に下がり始めた。と、何故だろう？やにわに天から光が漏れる。二人はふっと夜空を仰いだ。分厚い雲が千切れ飛び、かなりの勢いで流されている。満月が顔を覗かせて、青白い光を放射していた。「おっ、これなら見える！」二人は顔を見合わせて、植え込みの方へと視線を移した。と、其処には、小太りな女性が転がって居る。「おい、あれ、家政婦じゃあ無いか？」山田がそう言い、武田をつついた。武田が見ると、女が後ろ手に縛られている。その独特の体型には、確かに武田にも覚えが在った。二人は辺りを窺いながら女の元へと駆け寄った。
	女は猿轡を噛まされて居る。頻りに呻いては居たものの、外傷などは無さそうである。二人は急いで猿轡を取り、中の様子を彼女に問うた。だが、中には入って居ない、と言う。一時間ほど前、此処に来ると、何時もは閉じて居る表の門が僅かながら開いていた。彼女は不審に思いながらも、釣られるように中へと入った。すると、その直後、怪しげな男達に出会した。彼等は彼女を見付けると、有無を言わせずに押さえ付け、玄関脇へと引きずり込んだ。そして、猿轡を噛まし、縛り上げると、その儘、其処を離れたらしい。此処の夫人はまだ、屋敷の中に居る筈だ、と言う。二人は急ぎ扉を開けて、中へと足を踏み入れた。見ると、広間の階段脇に三人の男女が転がって居る。手足をロープで堅く縛られ、床の上に昏倒していた。だが、息はどうやら在るのらしい。見たところ、外傷などは見当たら無いが、近付くと妙な刺激臭が微かに匂った。薬物による昏睡らしい。密告通り、強盗なのに違い無かった。被害者の一人は中年の婦人で、二人の見知った顔だった。この家の夫人である。だが、背広を着込んだ男等は一体、何処の誰であろうか？この家は此処の主と夫人との二人暮らしの筈である。山田は家の電話を拝借すると、すぐさま分署に連絡し、応援と救急車の手配を依頼した。パトカーが屋敷に到着したのは丁度、その頃である。山田等は彼等と共に分署の指示を受けると、屋敷の中を見回った。それにしても、その荒らされようは普通では無い。特に書斎風の部屋などは物色の跡が生々しい。隠し金庫が無惨な姿で口を開け、預金通帳や株券など、あらゆる書類が散乱していた。おそらくは、現金だけを持ち去ったのである。「けど、普通、此処まで荒らすかね？」山田は少し首を傾げた。しばらくすると、数名の刑事が屋敷に着いた。だが、異常に早い。しかも、それは捜査課の刑事では無く、本庁、公安課の刑事らしい。彼等は手帳を指し示し、辺りの書類を集め始めた。だが、彼等の行動は妙だった。散乱した書類ばかりか、荒らされては居ない引き出しなども手当たり次第に引っ掻き回す。そして、書簡やメモなど、多くの書類を掻き集め、段ホールへと詰め込み始めた。到底、強盗事件の捜査、とは思えぬのである。第一、山田は公安が来る事など何も聞かされては居なかった。「何なんだ？こいつらは」山田の脳裏に疑念が走った。だが、その間も、彼等は書類を掻き集め、段ボールに詰めては押収して行く。これをこの儘、見過ごすと、後でお目玉を食う事は日を見るよりも明らかだった。
		山田はパトカーの警官を矢面に立てると、勝手は困る、と抗議した。だが、公安の刑事は強引である。話は通してある、と、取り合わ無い。書類ばかりか、昏倒して居る被害者までも、その儘の状態で担ぎ上げ、車の中へと押し込んだ。山田は分署に連絡したが、分署も戸惑いを隠せない。本署に問い合わせる、などと、まるで要領を得ぬのである。山田等、警官が唖然とする中、彼等は全てを車に積んで、挨拶も無しに立ち去った。その間わずか、一時間ほどの出来事だった。
	亜真野は米国の週末をホテルの一室でくつろいでいた。プライベートな誘いも幾つかは在ったが、久方ぶりの休日である。煩わしい付き合いなど、したくは無かった。それにしても、米国側の歓迎ぶりは亜真野の予想を遥かに超えた。此の処、遣る事、為す事、全てが何故か上手くは行かず、亜真野は酷く不機嫌だったが、今回ばかりは様子が違う。自然と顔がほころんだ。この出張は防衛庁からの要請だった。米国から超常現象の研究に付いて、意見交換の話が持ち上がり、防衛庁がそれに応じた。亜真野はその日本側の代表だった。五月蠅い中臣も此処には居ない。「ワーグナーでも、聴きたいとこだ　・　・　」亜真野はブツッ、と呟いた。だが、当初、亜真野は会議への出席を躊躇していた。多くの問題が山積し、日本を離れたくは無かったのである。今まで、霊能に理解を示さ無かった防衛庁が妙に乗り気なのも気に成った。「何か、裏が在りそうだ　・　・　」亜真野は事情を探り始めた。そして、見過ごせぬ話を耳にした。何と、米国側の目的は中臣の研究に在るのらしい。亜真野は内心、嫉妬した。そして、防衛庁の動いた訳も、それで大凡の察しは付いた。防衛庁としては、この事で、損をする事は何も無い。「この際、米国の顔を立てて置こう、煩い亜真野に貸しでも作れば、一石二鳥と成るだろう」そう考えたのに違い無かった。超常現象への認識などは少しも変わっては居なかったのである。防衛庁は亜真野と中臣のギクシャクとした関係にも気が付いている。団長に中臣では無く、亜真野を指名したのには、その事への配慮も関係していた。此処で亜真野が辞退をすれば、中臣に廻される事は明白である。亜真野は要請を受諾した。この会議についての諸計画は亜真野と米国の極、限られたスタッフによって秘密の内に立案された。
	従って、中臣に事前の通知は届いて居ない。会議の性格上、中臣にも声は掛けねば為らないが、亜真野は日取りを決めた後、中臣の出席を依頼した。本当の処を言うならば、出席などさせたくは無かったのである。そして、その目論見は上手く当たった。中臣には、別の予定が在ったのである。そして、亜真野もその事は事前に調べて知って居た。案の定、中臣は日取りの変更は出来ないものか、と未練がましく打診して来る。だが、亜真野には、そんな気などは更々、無かった。彼は代理人の出席を依頼した。「中臣など居なくとも上手く遣れるさ」亜真野はそう考えていた。
	少なくとも、彼については、学問の神は死んでいた。また、その事が彼の判断を誤らせていた。だが、彼はその事に気付いていない。いずれにしても、会議は今のところ、亜真野の思惑の通りに進行していた。亜真野は会議の進む中、米側の思惑を察知した。彼等は集団マインドコントロールの基礎研究をして居るらしい。中臣の研究に注目したのも、その為であるのに違いない。あるひとつの霊波に対し、同様の想念を持つ人間は其処への感受性が極めて強い。日本人は日本的な幽霊に脅かされるが、欧米人はマリアや悪魔などに遭遇をするのである。この事が集団のマインドコントロールに利用出来るのでは無いのか？米国の研究者達はそう考えたのに違い無かった。共同研究にでも持ち込めば、ＭＩＣの強化にも応用出来る。上手く使えば、祟り神や影浦達への強力な武器とも成りそうである。防衛庁は共同研究など興味は無いであろうから、話が上手く纏まったなら、お鉢は自分に廻されるだろう。「いや、本当に防衛庁様々だ、近い内、お返しをしなくては」亜真野はニンマリとして呟いた。亜真野は夕方、散歩に出よう、と、ロビーに降りた。と、フロントのボーイが呼び掛ける。「ン？何かな？」「はい、電報が届いて居ります」ボーイが封筒を注し出した。差出人を見ると建比良である。何事かが起こったのに違い無い。「チッ、こんな時に」亜真野の眉がピクリ、と動いた。亜真野は出張の前日、建比良に新たな暗号表を渡して置いた。秘密を要する場合には電文にして送るよう、指示したのである。それが今、亜真野の掌に握られている。亜真野は何食わぬ顔で折り畳み、内ポケットへと捻込むと、急いで部屋へと取って返した。だが、いざ読み始めると、暗号では無い。中臣に関する報告が通常の文で書かれてあった。長期休暇を届け出て、行方が全く分から無い、放置して置いて良いものなのか、指示を請う、と言うのである。
		だが、中臣は別の会議で忙しい筈では無かったのか？「会議がキャンセルにでも成ったのだろうか？」だが、中臣は重要な会議だ、と言っていた。その事は亜真野自身も確認している。そして、もしも中止であるなら、中臣の事だ。こちらへ来るのに違い無かった。長期の休暇も極めておかしい。彼は霊の研究が三度の飯より好きなのだ。「何か、在る！」亜真野は咄嗟に受話器を掴んだ。が、何故だろう？その手が途中でピタリ、と止まる。顔は青ざめ、額には脂の汗が滲み出していた。
	亜真野はゆっくりと受話器を戻すと、よろけるようにソファーに凭れた。今度の中臣の行動は極めて異常なものだった。亜真野の疑念を招くくらい百も承知の筈である。だが、あえて中臣は実行していた。草嘉の差し金に違い無い。おそらくは良からぬ何事かを画策したのである。得意満面の草嘉の顔が幻影と成って、亜真野を襲った。だが、その企てとは果たして何か？亜真野には既に察しも付いていた。今の一連の会議自体がひとつの大きな罠なのである。悔しさが芯から込み上げて、身体が異様にわなわな震えた。だが、この策謀は草嘉だけでは無理である。少なくとも、防衛庁の上層部と米国の大使館、おそらくはＣＩＡも関与をしていた。「くそっ、何時の間に結託したのか！」亜真野は思わず頭を抱えた。ＭＩＣの書類は亜真野の自宅に保管している。隠し金庫に隠匿し、篭飼いの秘書達に守らせていた。草嘉の狙いは其処に在るのに違い無い。今、亜真野には、随員として三人の自衛官が付けられている。「先生のファンです」などと、言っては居たが、監視役なのに違い無い。当然ながら、米側の監視も在るだろう。おそらくは盗聴もされて居る。今や亜真野は篭の鳥も同然だった。丁度その頃、草嘉は査察局の一室で、公安からの知らせを待った。計画は然したる障害も無く行われ、書類の押収も完了している。公安では今、押収資料を分析していた。自分の所で遣りたいが、任せた以上は、結果を待つしか致し方ない。草嘉はゆったりと煙草を蒸かし、今までの経緯を反芻していた。初め、草嘉は亜真野の持つ異様な行動に疑念を抱いた。そして、個人的に調べ始めた。
	だが、そんな折り、中臣が来て、亜真野への疑念を口にした。それが本格的調査の切っ掛けだった。だが、亜真野は尻尾を掴ませず、確たる証拠は挙がら無い。その所為で、査察局での草嘉の立場は危ういものとも成るのであった。だが、草嘉は米国の動きを察知して、その協力を取り付けた。非合法な手段を合法的に見せ掛ける、実に際どい策略である。従って、それは表向き、単なる強盗事件として処理された。警察はその現場検証で、たまたま妙な資料を見付け出す。そして、それは政治的陰謀に関わるらしい。そこで公安の登場と成る。亜真野の陰謀が露呈して、亜真野等の逮捕へと進展をする。それが草嘉の筋書きだった。そして、今、事はその思惑の通りに展開している。逮捕状はその翌日、早速、発行された。



Cotosiro


第十四章　第一話
	崩壊

	ある日、とある分署に密告電話が掛けられた。強盗の計画が在る、と言う。だが、電話の在ったのは午後の九時過ぎ、犯行予定時刻の僅か三十分ほど前の事である。しかも、密告者は名前も告げず、その時刻、場所を伝えると、すぐに電話を切っていた。悪ふざけとも考えられるが、放置は出来ない。係官は取り合えず狙われた家へと電話を掛けた。だが、応答は無い。留守、という事も在り得るが、確認を取る事は必要である。係官は急遽、近くの派出所に連絡を取り、巡回中のパトカーに無線で知らせた。派出所の警官、山田は分署からの連絡を受けると、仲間の武田と現場に向かった。だが、月は厚い雲に覆われて、今にも降り出しそうな雲行きである。「よりによって、こんな時に、堪らんな」ふたりはぶつぶつと呟きながら、自転車のペダルを踏み込んだ。予告に在ったその家は古色蒼然とした洋館である。近所の子供等の間では、化け物屋敷とも囁かれている陰気な感じの洋館だった。其処に今、強盗犯が居るのかも知れ無い。陰惨なイメージがやにわに膨らみ、彼等の脳裏を過ぎって行った。既にその洋館も間近に見える。自転車を降りると路肩に置いて、鉄柵ぞいに歩き始めた。それにしても、敷地は広い。鉄柵に囲まれた庭の中には、鬱蒼とした木々が生い茂り、黒いシルエットを成して佇んでいる。その狭間からは洋館がやはり黒い影を成し、不気味な想いを抱かせた。やにわに寒気が山田を襲う。身体をブルッ、と震わせた。通用門に目を遣ると、扉は堅く閉ざされて居る。薄気味の悪さは感じるものの夜とも成れば、それは何時もの事だった。「おい、悪戯じゃあ無いのか？」武田が小声で、そう言った。この辺りは閑静な住宅街で、事件らしい事件など、武田には全く覚えが無い。「うん、けど、パトカーが来るまで、一回りしようや」山田はそう促すと、表の門へと歩き始めた。
		だが、辺りは何時もの静けさである。車の往来は在るものの、路上駐車も見られ無い。放置された自転車が歩道の脇に在るだけだった。子供用の自転車である。遊びに惚けて、忘れて行ったのに違い無い。「やっぱり、悪戯だな、こりゃあ」武田は決め付けた様に呟いた。山田が言った。「けど、何で、こんな悪戯なんか、ひょっとして、そこらから見てるんじゃ無いのか？」彼等は辺りを見回しながら、表の門へと歩き始めた。時々は鉄柵越しに中を覗くが、変わった様子も見られ無い。「サッサと済ませて、早く帰ろう、てね？今日の標語だ」武田が急に拍子を付けて、そんな風に小声で言った。だが、正門が近付くと山田が言った。「おい、変じゃあ無いか？あれ」「エッ？」
	「あれだよ！」山田が扉を指で示した。武田が見ると、観音開きの扉の合い目が心持ち、ずれて居る様に思われる。「な？開いてるだろ？」山田がそう言い、歩き始めた。近くに寄って見てみると、やはり扉は開いている。「妙だな？」武田が小声でボツリ、と言った。此処の家人は用心深く、半開きの儘で放置をするなど、考えられぬ事である。何とは無しに扉を開けると、吸い込まれる様に中へと入った。其処からは、石畳の舗装が木々を縫い、蛇行をしながら中へと続く。奥の方には、不気味な感じの洋館が無表情に佇んでいた。だが、鬱蒼とした庭木が邪魔をして玄関の辺りはまるで見え無い。「も、もう少し行ってみようや」山田は芝生の上を歩き始めた。だが、辺りは全くの暗闇である。大木から垂れ下がる枝や葉が魔物の様に覆い被さり、わずかな光すら遮っていた。「き、肝試しには丁度、良いよな」武田が辺りを見回しながら、ボソッ、と一言、囁いた。少し行き、石畳の向こうを覗いてみると、ポーチの出っ張りが確認出来る。だが、門灯は何故か点いては居らず、辺りは全くの闇である。意図的に誰かが消したのか？あるいは、ただの故障だろうか？二人は腰を更に屈めて、再び前へと歩み始めた。と、ガサッ、と妙な音がする。「誰か居る！」二人は咄嗟に身を伏せた。音は玄関脇の植え込みの辺りだ。「何だろう？」ソッと植え込みを覗いて見ると、蠢く影が微かに見えた。「見張りだろうか？それにしては動きが妙だが」だが、辺りは全くの暗闇で、確認をする事は出来ぬのである。屋敷には、此処の家人も居る筈で、迂闊に近付くのは危険に思えた。
	「どうしよう　・　・　」武田が目配せで、そう言った。パトカーも直、着く筈である。「一旦は戻ろう」二人は足を忍ばせて、そろっ、と後に下がり始めた。と、何故だろう？やにわに天から光が漏れる。二人はふっと夜空を仰いだ。分厚い雲が千切れ飛び、かなりの勢いで流されている。満月が顔を覗かせて、青白い光を放射していた。「おっ、これなら見える！」二人は顔を見合わせて、植え込みの方へと視線を移した。と、其処には、小太りな女性が転がって居る。「おい、あれ、家政婦じゃあ無いか？」山田がそう言い、武田をつついた。武田が見ると、女が後ろ手に縛られている。その独特の体型には、確かに武田にも覚えが在った。二人は辺りを窺いながら女の元へと駆け寄った。
	女は猿轡を噛まされて居る。頻りに呻いては居たものの、外傷などは無さそうである。二人は急いで猿轡を取り、中の様子を彼女に問うた。だが、中には入って居ない、と言う。一時間ほど前、此処に来ると、何時もは閉じて居る表の門が僅かながら開いていた。彼女は不審に思いながらも、釣られるように中へと入った。すると、その直後、怪しげな男達に出会した。彼等は彼女を見付けると、有無を言わせずに押さえ付け、玄関脇へと引きずり込んだ。そして、猿轡を噛まし、縛り上げると、その儘、其処を離れたらしい。此処の夫人はまだ、屋敷の中に居る筈だ、と言う。二人は急ぎ扉を開けて、中へと足を踏み入れた。見ると、広間の階段脇に三人の男女が転がって居る。手足をロープで堅く縛られ、床の上に昏倒していた。だが、息はどうやら在るのらしい。見たところ、外傷などは見当たら無いが、近付くと妙な刺激臭が微かに匂った。薬物による昏睡らしい。密告通り、強盗なのに違い無かった。被害者の一人は中年の婦人で、二人の見知った顔だった。この家の夫人である。だが、背広を着込んだ男等は一体、何処の誰であろうか？この家は此処の主と夫人との二人暮らしの筈である。山田は家の電話を拝借すると、すぐさま分署に連絡し、応援と救急車の手配を依頼した。パトカーが屋敷に到着したのは丁度、その頃である。山田等は彼等と共に分署の指示を受けると、屋敷の中を見回った。それにしても、その荒らされようは普通では無い。特に書斎風の部屋などは物色の跡が生々しい。隠し金庫が無惨な姿で口を開け、預金通帳や株券など、あらゆる書類が散乱していた。おそらくは、現金だけを持ち去ったのである。「けど、普通、此処まで荒らすかね？」山田は少し首を傾げた。しばらくすると、数名の刑事が屋敷に着いた。だが、異常に早い。しかも、それは捜査課の刑事では無く、本庁、公安課の刑事らしい。彼等は手帳を指し示し、辺りの書類を集め始めた。だが、彼等の行動は妙だった。散乱した書類ばかりか、荒らされては居ない引き出しなども手当たり次第に引っ掻き回す。そして、書簡やメモなど、多くの書類を掻き集め、段ホールへと詰め込み始めた。到底、強盗事件の捜査、とは思えぬのである。第一、山田は公安が来る事など何も聞かされては居なかった。「何なんだ？こいつらは」山田の脳裏に疑念が走った。だが、その間も、彼等は書類を掻き集め、段ボールに詰めては押収して行く。これをこの儘、見過ごすと、後でお目玉を食う事は日を見るよりも明らかだった。
		山田はパトカーの警官を矢面に立てると、勝手は困る、と抗議した。だが、公安の刑事は強引である。話は通してある、と、取り合わ無い。書類ばかりか、昏倒して居る被害者までも、その儘の状態で担ぎ上げ、車の中へと押し込んだ。山田は分署に連絡したが、分署も戸惑いを隠せない。本署に問い合わせる、などと、まるで要領を得ぬのである。山田等、警官が唖然とする中、彼等は全てを車に積んで、挨拶も無しに立ち去った。その間わずか、一時間ほどの出来事だった。
	亜真野は米国の週末をホテルの一室でくつろいでいた。プライベートな誘いも幾つかは在ったが、久方ぶりの休日である。煩わしい付き合いなど、したくは無かった。それにしても、米国側の歓迎ぶりは亜真野の予想を遥かに超えた。此の処、遣る事、為す事、全てが何故か上手くは行かず、亜真野は酷く不機嫌だったが、今回ばかりは様子が違う。自然と顔がほころんだ。この出張は防衛庁からの要請だった。米国から超常現象の研究に付いて、意見交換の話が持ち上がり、防衛庁がそれに応じた。亜真野はその日本側の代表だった。五月蠅い中臣も此処には居ない。「ワーグナーでも、聴きたいとこだ　・　・　」亜真野はブツッ、と呟いた。だが、当初、亜真野は会議への出席を躊躇していた。多くの問題が山積し、日本を離れたくは無かったのである。今まで、霊能に理解を示さ無かった防衛庁が妙に乗り気なのも気に成った。「何か、裏が在りそうだ　・　・　」亜真野は事情を探り始めた。そして、見過ごせぬ話を耳にした。何と、米国側の目的は中臣の研究に在るのらしい。亜真野は内心、嫉妬した。そして、防衛庁の動いた訳も、それで大凡の察しは付いた。防衛庁としては、この事で、損をする事は何も無い。「この際、米国の顔を立てて置こう、煩い亜真野に貸しでも作れば、一石二鳥と成るだろう」そう考えたのに違い無かった。超常現象への認識などは少しも変わっては居なかったのである。防衛庁は亜真野と中臣のギクシャクとした関係にも気が付いている。団長に中臣では無く、亜真野を指名したのには、その事への配慮も関係していた。此処で亜真野が辞退をすれば、中臣に廻される事は明白である。亜真野は要請を受諾した。この会議についての諸計画は亜真野と米国の極、限られたスタッフによって秘密の内に立案された。
	従って、中臣に事前の通知は届いて居ない。会議の性格上、中臣にも声は掛けねば為らないが、亜真野は日取りを決めた後、中臣の出席を依頼した。本当の処を言うならば、出席などさせたくは無かったのである。そして、その目論見は上手く当たった。中臣には、別の予定が在ったのである。そして、亜真野もその事は事前に調べて知って居た。案の定、中臣は日取りの変更は出来ないものか、と未練がましく打診して来る。だが、亜真野には、そんな気などは更々、無かった。彼は代理人の出席を依頼した。「中臣など居なくとも上手く遣れるさ」亜真野はそう考えていた。
	少なくとも、彼については、学問の神は死んでいた。また、その事が彼の判断を誤らせていた。だが、彼はその事に気付いていない。いずれにしても、会議は今のところ、亜真野の思惑の通りに進行していた。亜真野は会議の進む中、米側の思惑を察知した。彼等は集団マインドコントロールの基礎研究をして居るらしい。中臣の研究に注目したのも、その為であるのに違いない。あるひとつの霊波に対し、同様の想念を持つ人間は其処への感受性が極めて強い。日本人は日本的な幽霊に脅かされるが、欧米人はマリアや悪魔などに遭遇をするのである。この事が集団のマインドコントロールに利用出来るのでは無いのか？米国の研究者達はそう考えたのに違い無かった。共同研究にでも持ち込めば、ＭＩＣの強化にも応用出来る。上手く使えば、祟り神や影浦達への強力な武器とも成りそうである。防衛庁は共同研究など興味は無いであろうから、話が上手く纏まったなら、お鉢は自分に廻されるだろう。「いや、本当に防衛庁様々だ、近い内、お返しをしなくては」亜真野はニンマリとして呟いた。亜真野は夕方、散歩に出よう、と、ロビーに降りた。と、フロントのボーイが呼び掛ける。「ン？何かな？」「はい、電報が届いて居ります」ボーイが封筒を注し出した。差出人を見ると建比良である。何事かが起こったのに違い無い。「チッ、こんな時に」亜真野の眉がピクリ、と動いた。亜真野は出張の前日、建比良に新たな暗号表を渡して置いた。秘密を要する場合には電文にして送るよう、指示したのである。それが今、亜真野の掌に握られている。亜真野は何食わぬ顔で折り畳み、内ポケットへと捻込むと、急いで部屋へと取って返した。だが、いざ読み始めると、暗号では無い。中臣に関する報告が通常の文で書かれてあった。長期休暇を届け出て、行方が全く分から無い、放置して置いて良いものなのか、指示を請う、と言うのである。
		だが、中臣は別の会議で忙しい筈では無かったのか？「会議がキャンセルにでも成ったのだろうか？」だが、中臣は重要な会議だ、と言っていた。その事は亜真野自身も確認している。そして、もしも中止であるなら、中臣の事だ。こちらへ来るのに違い無かった。長期の休暇も極めておかしい。彼は霊の研究が三度の飯より好きなのだ。「何か、在る！」亜真野は咄嗟に受話器を掴んだ。が、何故だろう？その手が途中でピタリ、と止まる。顔は青ざめ、額には脂の汗が滲み出していた。
	亜真野はゆっくりと受話器を戻すと、よろけるようにソファーに凭れた。今度の中臣の行動は極めて異常なものだった。亜真野の疑念を招くくらい百も承知の筈である。だが、あえて中臣は実行していた。草嘉の差し金に違い無い。おそらくは良からぬ何事かを画策したのである。得意満面の草嘉の顔が幻影と成って、亜真野を襲った。だが、その企てとは果たして何か？亜真野には既に察しも付いていた。今の一連の会議自体がひとつの大きな罠なのである。悔しさが芯から込み上げて、身体が異様にわなわな震えた。だが、この策謀は草嘉だけでは無理である。少なくとも、防衛庁の上層部と米国の大使館、おそらくはＣＩＡも関与をしていた。「くそっ、何時の間に結託したのか！」亜真野は思わず頭を抱えた。ＭＩＣの書類は亜真野の自宅に保管している。隠し金庫に隠匿し、篭飼いの秘書達に守らせていた。草嘉の狙いは其処に在るのに違い無い。今、亜真野には、随員として三人の自衛官が付けられている。「先生のファンです」などと、言っては居たが、監視役なのに違い無い。当然ながら、米側の監視も在るだろう。おそらくは盗聴もされて居る。今や亜真野は篭の鳥も同然だった。丁度その頃、草嘉は査察局の一室で、公安からの知らせを待った。計画は然したる障害も無く行われ、書類の押収も完了している。公安では今、押収資料を分析していた。自分の所で遣りたいが、任せた以上は、結果を待つしか致し方ない。草嘉はゆったりと煙草を蒸かし、今までの経緯を反芻していた。初め、草嘉は亜真野の持つ異様な行動に疑念を抱いた。そして、個人的に調べ始めた。
	だが、そんな折り、中臣が来て、亜真野への疑念を口にした。それが本格的調査の切っ掛けだった。だが、亜真野は尻尾を掴ませず、確たる証拠は挙がら無い。その所為で、査察局での草嘉の立場は危ういものとも成るのであった。だが、草嘉は米国の動きを察知して、その協力を取り付けた。非合法な手段を合法的に見せ掛ける、実に際どい策略である。従って、それは表向き、単なる強盗事件として処理された。警察はその現場検証で、たまたま妙な資料を見付け出す。そして、それは政治的陰謀に関わるらしい。そこで公安の登場と成る。亜真野の陰謀が露呈して、亜真野等の逮捕へと進展をする。それが草嘉の筋書きだった。そして、今、事はその思惑の通りに展開している。逮捕状はその翌日、早速、発行された。



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