可能世界・陰の神話		心的意味に於ける可能世界 This was revised in November 28, 2009. This was revised in February 11, 2012.		野口博正の提供による 　あるひとつの可能世界
	心がふっと、やにわに揺らいで、言い知れぬ不安に捕らわれる時、人は時として、自身の過去を顧みる。その様な不安感には、多くの場合、妙に重苦しい疲労感、また、訳の分からぬ疎外感も、伴うが、人は意外なその様な自分の心に、戸惑って、自分自身を振り返るのである。あるいは、それは自分の居場所が此処で良いのか、と言う無意識的な迷いの所為であるのかも知れない。いずれにしても、それは当人に取って、予期せぬ心の変調である。いや、その予兆である、と言う方が良いのかも知れない。そこで、彼はその不安定な精神状態から逃れる為に、対処の方法を考え始める。だが、不安の原因が曖昧なのであるから、大方は、良い方策など、思い付かない。 ならば、他者の見識を参考に、対応するのが賢明な方策の筈である。だが、ある種の人間はそうはせず、むしろ、他者の見識に背を向けて、ただ、ひっそりと、自己の論理だけで、考え始める。だが、それは自己の論理のサーキットをただ、ぐるぐると、回っているのに過ぎない。従って、本当の答えには、到達し得ず、彼は自身の論理から抜け出せぬまま、自身の魂を小さくして行く。無論、此処で留まれば、何とか、生活は出来るから、まだ、ましなのだが、考えあぐねて、殻を作って、自らの心を閉ざす者も、それほど、希ではないのである。 実を言えば、私も、一度、その様な状況に落ちてしまった事がある。自分の狭量な論理のサーキットを止めどもなしに走り続けたのである。そして、幾ばくかの答えを見出した、と錯覚した。だが、それはいつも、同じ結論であり、私の無意識は既に、その答えが間違いである事も、知っていた。だが、認めたくは無いのである。「自分の論理は正しい」と、そう、自らを叱咤して、無意識の声を無視し続けた。そして、正しい答えを求める為に、なおも、我が論理のサーキットをさまよい続けた。だが、それは既に、迷える魂であった。迷うほどに、不可解なる精神のラビリンスを、混沌の淵へと誘われたのである。だが、そこは様々な怨念の支配する呪いに満ちた闇であった。迷える魂はその闇をただ、当て所も無しに、さまよい歩いた。そして、気付かぬ侭に、自らの魂すら、他者とみなす、不可解なる世界へと引き込まれたのである。 其処はまさに、この世ならぬ理解不能な怪しき世界である。多くの魔神や魔物の類が次々と眼前に現れて、悪行を正当化して、そそのかした。そして、恐ろしき未来を指し示した。「見よ！これがお前の未来である」と。もし、あなたがこの様な状況に陥ったなら、私がかつて、そうであった様に、言い知れぬ恐れを感じるだろう。だが、その怪しげな誘惑の虜と成って、犯罪を犯そう、と考える者も、そう希ではないのである。もっとも、多くの人は我に返ると、その様な体験を悪しき夢、あるいは、幻と、考えて、きれいさっぱりと、忘れてしまう。そして、省みる事すら、しようとしない。自らの悪しき心や、論理に馴染まず、因果をも、揺るがし兼ねぬ世界など、認めたくは無いからだろう。 確かに、我々は過去から現在までの経験が記憶として存在する、という事実を知っている。そして、その事が我々に現実というものを承認させて、現実には馴染まぬもの、また、自己の悪しき心への認識を無意識の沼へと沈めさせた。つまり、夢、幻などで見たものは現実と記憶の整合性、そして、自身の持つ自己への認識とは馴染まないので、無視して良い、と思うのである。だが、果たして、誰が現実についての記憶を夢では無く、幻でも無い、と言い切れるのだろうか？探してみたけれども、夢の記憶と同様に、現実についての記憶が確かである、という根拠など、見つける事は出来なかった。 一つの記憶を検証する為には、必ず他者の、あるいは書物等々の、別の記憶が必要と成る。つまり、自分の記憶が正確であるのか、誤りであるのか？それは他者の記憶と比較して、吟味をしなくてばならない。また、それ以外に、記憶の正当性を検証する手段は見付から無かった。 だが、そうして比較した他者の記憶も無条件では受け入れられない。その受け入れに付いても、更なる別の記憶に拠って、裏付けられる事が必要だった。従って、記憶の正当性は何処まで行っても証明されず、確固としたもの、揺るがぬもの、とも言い切れなかった。極論すれば、今の記憶がその一分後、変わっていない、とも言い切れないのである。もっとも、当人はその事に気付く事は不可能なのであるが、その説明は此処ではしない。 （参照 揺らぎの現実・　 フラクタル ） いずれにしても、記憶の正当性はそれら記憶の論理的整合性に頼るしか無く、完全なる確かさなど、持たないのである。記憶を確かなもの、と決めたものは、実は、記憶への単なる信仰では無かったのだろうか？ もしかすると、記憶は極めて、移ろい易く、何らかの心的な要因が揺るがしている事も考えられる。つまり、我々が否定をしがちな、神や魔神や魔物の世界も、あるいは存在をするのかも知れないのである。おそらく、この言明を笑う者は多いだろう。だが、本当に、それで良いのだろうか？世界は論理と因果だけで成り立っているのでは決して、無い。検証不能な存在を無視して、生きる事など、不可能である、と断言できる。しかし、今、認識不能な存在について、述べる事は差し控えよう。その様な存在を理解する為には、体得すべき、幾つかの条件があるからである。従って、此処では、記憶と事実との関係を考察する事から、始めたい。 そこで、まず、記憶の正当性は永遠に検証されない、と言う前述の考えを前提として、記憶が現実を、つまり、過去から現在までを決めている、と仮定してみる。現実の事象が認識されて、記憶を作る、と言う一般的な、そして、常識的な認識を逆転させて、記憶と現実との論理的関係を考えるのである。無謀なようだが、記憶の秘密、現実の秘密を知るのには、常識に捕らわれて居たのでは解き明かせ無い。認識の秘密へ、さあ、その一歩を踏み出そう！ さて、以上の前提に立ち、記憶が不確かなもの、とするならば、現実も揺らぐ事と成りそうだった。現実の前提を、不確かなる記憶としたのであるから、当然である。従って、この場合、現実も固定された事実である、とは言い切れ無かった。在り得ぬ事とも思えるけれども、見渡したところ、この推論を否定する材料も見当たらない。記憶と現実との関係は逆転させても、成り立つのである。少なくとも、論理的な矛盾は見当たら無かった。 また、自然的観察に従えば、人の頭脳は時として、此の世の未来を垣間見た。この事は、彼の記憶が彼の現実に先行する可能性を匂わせて居り、また、個々人、各々の世界がそれぞれに違い、更には、その個々人が様々な世界を持つ事をも、暗示していた。つまり、本当の世界は無数の可能世界の集合であるようにも思われた。 私の体験から言わせてもらえば、幻で垣間見た未来がしばしば、現実とは成ら無かったからだった。どうやら、現実とは、当人の魂が選択した、彼にとっては唯一の現実世界への整合性を持った記憶らしい。つまり、世界の全ての人間があなたと同じ記憶を共有したとしても、それはあなたの世界にいる人間の記憶でしか無いのであり、他者の世界での他者の記憶が、当該の世界における他者の記憶と同一である、などとは、誰にも言えはし無かったのである。従って、此の時点では、彼我の世界は何ものと云えども行き交わぬ隔絶した存在、とも考えられた。 繰り返しにも成るのだけれども、現実の揺らぎは記憶の揺らぎを前提としている。現実が揺らぐとすれば、それは現実に先行する筈の、記憶による、としか考えられぬからだった。だが、もし、そうだとしても、記憶その物は果たして、どのようにして、揺らぐのだろうか？誰かの現実世界が彼自身の記憶によって縛られている、とするならば、記憶の揺らぎを引き起こす、その様な要因については、他者の世界に求めるしか無さそうである。 そして、もしも、そうならば、彼我の世界は物質以前の何かによっては繋がっている、と考えねば為らず、時空の論理に縛られぬ何等かの実在が想定された。では、時空の論理に縛られぬ何か、とは何であろう？俄には、その特定は出来兼ねた。だが、いずれにしても、その様な正体不明の実在が各人、各々の世界を繋いで、現実と呼ばれる整合性ある記憶を形作っている、と言う事だけは想像し得るのである。 あるいは、古代のギリシャ人が考えた様に、その何かはイデアであって、現実とは、イデアに存在する、あるべき姿の放射なのだろうか？あるいは、その何かは認識の無い世界に潜む盲目的な意思であって、現実とは、その盲目的意思が錯乱をした、その結果に過ぎないのだろうか？それとも、神と魔神の戦いが我々の現実を決めるのだろうか？思い悩む私の脳裏に、様々な想像が過ぎって行った。だが、そのどれもが、しっくりとはせず、納得の行く答えとは成り得なかった。何故ならば、そこに在るべき創造主、すなわち、一つの現実世界を出現させるべき記憶の主、つまり、認識者としての自己の存在が欠落して居たからである。 自己が無ければ、時空を形成する筈の記憶の主体は存在せず、此処での全ての推論は根拠を失う。自己は論理以前の源存在として、必要欠くべからざる実在であったのである。ならば、探し求める正体不明の実在はあるいは、自己、と言う存在なのかも知れない。だが、その時点では、未だ、確たる答えも見出せず、正体不明の実在はブラックボックスの中にあった。そこで、此処では、さしあたり、時空には縛られぬ何等かの存在を念頭に、話を進める事にする。 さて、そのブラックボックスの中身はともかくとして、記憶を揺るがす実在は確かに在り、また、その事が、彼の認識する現実世界を彼自身すら、気付かぬ内に変えている、と言う可能性は大いにあり得る。無論、それは時空内の要因による変化では無いので、正体不明の実在の影響で、認識者の記憶、もしくは、魂の変化が新しい世界を生み出した、と言う方が適切であるのかも知れ無い。そして、もしも、実際に、そうであるのなら、以前、存在した筈の世界が、それで消え失せる、とも言い切れず、可能世界として、存在し続ける事も考えられた。だが、その事を知るすべなど、勿論、無い。我々、個々人の時空に於ける存在は時空と呼ばれる多次元的世界の一点に過ぎず、我々の知る現実とは、個々人のみの、原理的に証明不可能な、現時点の記憶の総体にしか過ぎぬ、極めて、曖昧なものであるからだった。 つまり、現実は記憶でしか無い。我々に取って、確かな事は、その現実が記憶されている、と言う事だけなのである。現実である、と認識される、その様な記憶が確かなものであり、また、絶対に揺るがぬ、と言い得る証拠は、やはり、何処にも、見出せ無かった。それ以上の事は、記憶の外の問題であり、少なくとも、自然的観察だけでは、その答えを得る事はやはり、無理であったのである。 ただ、此処まで来ると、時空に縛られぬ何ものかの正体、我々に働き掛け、記憶の揺らぎを引き起こすあるものの正体、それだけは、薄々ながら想像し得た。結論から言えば、それは魂とも呼ばれる想念である。ちなみに、この想念は精神的なカオスであって、認識不能な力を発する無数のイメージの集合体である。それが自己の確認、つまり、自らの想念への認識を渇望した時、時空と自我が同時に生じる。 また、自我はその時点から、時空の一部と成って、その行動や認識について、時空の論理の枠に閉じ篭められるのである。其処に於いて、彼の記憶は確定し、未来の記憶や他者の世界での彼の記憶は、彼の意識からは、隠されたのである。一旦、時空が出来て仕舞うと、未来や他者の世界での彼の記憶は彼の見る時空の因果関係を壊しかねない。彼の記憶は、その全てが彼自身の認識する時空の過去を反映しなけれは為らないのである。然も無くば、時空は忽ちの内に崩壊し、彼は認識を失うだろう。その故にこそ、想念は、その論理的帰結としての現実を、つまり、過去を、自我の記憶として、確定したのである。 勿論、想念はひとつであって、ひとつではなく、無であって、無ではなく、混沌としたイメージの集合体であって、集合体ではない。つまり、数える事の不可能な存在である。従って、その様な想念が唯一の時空しか、生み出さない、と考えるのは不自然である。むしろ、無数の時空を産み出している、と考える方が良さそうなのである。 おそらく、時空の創出と共に確定した現実としての記憶すら、時折、揺らぐのはその所為である。自我と成った魂が一瞬、揺らぐと、記憶もまた、揺らぐのである。無論、その事によって、自らの時空を離脱する事はまず無いが、時として、垣間見る未来や他の世界の、断片的とも思える妙な記憶は、その様な揺らぎの引き起こす、極めて、希な出来事なのである。だが、それは彼が現実として、認識をするかも知れぬ世界であって、決して、無視して良い類の幻影では無い。魂は時として、その様な啓示、あるいは、警告を為すのであった。 だが、その想念は何故、他の時空に影響して、関わる事が出来るのだろう。一つの想念がその論理に従い、宇宙を創造したのなら、在り得ぬ事と思われた。もし、其処に他の想念が働いたなら、論理矛盾を来たして、時空が壊れる様にも、見えたからである。ちなみに、このような想念は各々の認識者を通して、その認識者に特有の想念として機能する。だが、思い起こすと、時空は想念の論理的な帰結に過ぎ無かった。つまり、現時点の現実に至る道筋は記憶されたもの以外にも、幾つかは在りそうに思われる。その事が他の想念の侵入を可能にさせて居るのでは無いのだろうか？いや、その可能性は高そうだった。 おそらく、その可能性が実現した時、その想念は他者の記憶を変容させて、その他者の新たな時空を創造させた。また、同時に、入り込んだ想念も少なからず、その世界の影響を受けて、変容して、自らの時空を生み出したのである。そして、この過程はおそらく、留まるところを全く、知らない。時空と想念の創造は無限に、そして、永遠に、続くのである。従って、それら全ての想念は実は、独立した存在では無く、その基とも言い得る想念へと繋がっている、と考えられる。いや、むしろ、それらは渾然一体とした非論理的な存在である、と表現する方が適切なのかも知れない。 想念には、時空が無く、数える事も区別する事も為し得ない。集合、想念はその部分と同一であり、集合、想念の集合もまた、想念と呼ぶ以外、表し様が無いのである。あえて、視覚的に表現するなら、それは認識者と感情の籠もったイメージとの混沌とした集合体である、と言えるのかも知れない。 だが、その様な想念が時空を産む時、認識者とそれぞれのイメージは泡の如く区別を生じて、その存在を露に示した。つまり、その区別を生じた実在こそが我であり、他者であり、また、神であり、悪魔であり、あるいは魔物であったのである。逆に言えば、我々、意識体の魂がその様な認識を持つのであった。だからこそ、神の中に悪魔が産まれ、悪魔の中に神もまた、生じるのである。見よ！また一つ、想念の泡が揺らぎ出ている。一つの時空が形成された。
Cotosiro