可能世界・陰の神話 第一章第二話		心的意味に於ける可能世界 This was revised in September 12, 2007. This was revised in November 24, 2009.		野口博正の提供による 　あるひとつの可能世界
	心がふっと、やにわに揺らいで、自身の過去を顧みる時、人は時として、言い知れぬ不安に捕らわれる。そして、妙に重苦しい疲労感、 時には、怪しげな疎外感にすら苦しめられる。人はその時、その意外な自分の心情に、ふっと戸惑い、迷うのである。あるいは、 それは自分の居場所が分からなく成った、と言う事だろうか？いずれにしても、当人に取って、それは予期せぬ心の変調である。 彼はその変調から逃れようと、対処の仕方を考え始める。だが、多くの場合、良い方策など思いつかない。 ならば、他者の見識を参考に、対応するのが賢明な方策である様に思われる。だが、不思議にも、多くの場合、そうはせず、むしろ、 他者の見識には背を向けて、ただ、ひっそりと、自己の論理だけで考え続ける。そして、本当の解決など為し得ずに、自身の魂を小さくして行く。 無論、此処で留まれば、何とか、生活は出来るから、まだ、ましなのだけれども、考えあぐねて、殻を作って、自らの心を閉ざす者も、 そう希ではないのである。実を言えば、私は一度、其処に落ち込んだ。それは既に迷える魂、迷うほどに、 不可解なる精神の暗闇を混沌の淵へと誘われて行く。無論、行き着く先は様々な怨念の支配する呪いに満ちた闇である。彼はその闇をただ、 当て所も無しにさまよい歩く。そして、気付かぬ侭に、自らの魂すら他者とみなす不可解なる世界へと引き込まれるのである。 其処はまさにこの世ならぬ理解不能な怪しき世界、多くの魔神や魔物の類が次々と眼前に現れて、悪行を正当化して、そそのかす。 そして、恐ろしき未来を指し示す。「見よ！これがお前の未来である」と。その時、多くの人は恐れるけれども、その怪しげな誘惑の虜と成って、 犯罪を犯そう、と考える者も希ではない。もっとも、多くの人は我に返ると、その様な体験を忘れてしまう。あるいは、記憶の片隅には残っていても、 それは単なる夢、幻、と見なして、省みる事すら、しようとしない。自らの悪しき心や、論理に馴染まず、因果をも揺るがし兼ねぬ世界など、 認めたくは無いのだろう。 確かに、我々は過去から現在までの経験が記憶として存在する、という事実を知っている。そして、その事が我々に現実というものを承認させて、 現実には馴染まぬもの、そして、自己の悪しき心への認識を排斥させた。つまり、夢、幻などで見たものは現実と記憶の整合性を阻害しているから、 無視して良い、と思うのである。だが、果たして、誰が現実についての記憶を夢では無く、幻でも無い、と言い切れるのだろうか？探してみたけれども、 夢の記憶と同様に、現実についての記憶が確かである、という根拠など、見つける事は無理だった。一つの記憶を検証する為には、必ず他者の、 あるいは書物等々の、別の記憶が必要と成る。つまり、自分の記憶が正確であるのか、誤りであるのか？それは他者の記憶と比較して、 吟味をしなくてばならない。また、それ以外に、記憶の正当性を検証する手段は見付から無かった。 だが、そうして比較した他者の記憶も無条件では受け入れられない。その受け入れに付いても、更なる別の記憶に拠って、 裏付けられる事が必要だった。従って、記憶の正当性は何処まで行っても証明されず、確固としたもの、揺るがぬもの、とも言い切れなかった。 極論すれば、今の記憶がその一分後、変わっていない、とも言い切れない。 （参照 揺らぎの現実　 フラクタル） つまり、記憶の正当性はそれら記憶の論理的整合性に頼るしか無く、完全なる確かさなど持たぬのである。記憶を確かなもの、と決めたものは、 実は、記憶への単なる信仰では無かったのだろうか？ もしかすると、記憶は極めて移ろい易く、何らかの心的な要因が揺るがしている事も考えられる。つまり、我々が否定をしがちな、 神や魔神や魔物の世界も、あるいは存在をするのかも知れぬのである。おそらく、この言明を笑う者は多いだろう。だが、本当に、それで良いのだろうか？ 世界は論理と因果だけで成り立っているのでは決して無い。検証不能な存在を無視して、生きる事など、不可能である、と断言できる。しかし、此処では、 認識不能な存在について、述べる事は差し控えよう。その様な存在を理解する為には、体得すべき幾つかの条件があるからである。従って、此処では、 記憶と事実との関係を考察するに留めたい。 そこで、まず、記憶の正当性は永遠に検証されない、と言う前述の考えを前提として、記憶が現実を、つまり、過去から現在までを決めている、 と仮定してみる。現実の事象が認識されて記憶を作る、と言う一般的な、そして、常識的な認識を逆転させて、記憶と現実との論理的関係を考えるのである。 無謀なようだが、記憶の秘密、現実の秘密を知るのには、常識に捕らわれて居たのでは解き明かせ無い。認識の秘密へ、さあ、その一歩を踏み出そう！ さて、以上の前提に立ち、記憶が不確かなもの、とするならば、現実も揺らぐ事と成りそうだった。現実の前提を、 不確かなる記憶としたのであるから当然である。従って、この場合、現実も確固とした存在、とは言い切れ無かった。在り得ぬ事とも思えるけれども、 見渡したところ、この推論を否定する材料も見当たらない。記憶と現実との関係は逆転させても成り立つのである。少なくとも、論理的な矛盾は見当たら無かった。 また、自然的観察に従えば、人の頭脳は時として、此の世の未来を垣間見た。この事は、彼の記憶が彼の現実に先行する可能性を匂わせて居り、 また、個々人各々の世界がそれぞれに違い、更には、その個々人が様々な世界を持つ事をも暗示していた。 つまり、本当の世界は無数の可能世界の集合であるように思われた。 私の体験から言わせてもらえば、幻で垣間見た未来がしばしば、現実とは成ら無かったからだった。どうやら、現実とは、当人の魂が選択した、 彼にとっては唯一の現実世界への整合性を持った記憶らしい。つまり、世界の全ての人間があなたと同じ記憶を共有したとしても、 それはあなたの世界にいる人間の記憶でしか無いのであり、他の世界でも、当該の世界と同一である、などとは、誰にも言えはし無かった。 従って、此の時点では、彼我の世界は何ものと云えども行き交わぬ隔絶した存在、とも考えられた。 繰り返しにも成るのだけれども、現実の揺らぎは記憶の揺らぎを前提としている。現実が揺らぐとすれば、それは現実に先行する筈の、記憶による、 としか考えられぬからだった。だが、もし、そうだとしても、記憶その物は果たして、どのようにして揺らぐのだろうか？ 誰かの現実世界が彼自身の記憶によって縛られている、とするならば、記憶の揺らぎを引き起こす、その様な要因については、 他者の世界に求めるしか無さそうである。 そして、もしも、そうならば、彼我の世界は物質以前の何かによっては繋がっている、と考えねば為らず、時空の論理に縛られぬ何等かの実在が想定された。 では、時空の論理に縛られぬ何か、とは何であろう？俄には、その特定は出来兼ねた。だが、いずれにしても、その様な正体不明の実在が各人、 各々の世界を繋いで、現実と呼ばれる整合性ある記憶を形作っている、と言う事だけは想像し得た。 あるいは、古代のギリシャ人が考えた様に、現実はイデアに存在するあるべき姿の放射だろうか？あるいは、現実は盲目的意志が錯乱をした、 その結果に過ぎないのだろうか？それとも、神と魔神の戦いが我々の世界を決めるのだろうか？思い悩む私の脳裏に、様々な想像が過ぎって行った。 だが、そのどれもが、しっくりとはせず、納得の行く答えとは成り得なかった。何故ならば、そこに在るべき創造主、つまり、 認識者としての自己存在が欠落して居たからだった。 自己が無ければ、時空を形成する筈の記憶の主体は存在せず、此処での全ての推論は根拠を失う。自己は論理以前の源存在として、 必要欠くべからざる実在だった。だが、その時点では、確たる答えも見出せず、その答えは未だ、ブラックボックスの中だった。取り合えず、 時空には縛られぬ何等かの存在を念頭に、話を進める事にする。 さて、その中身はともかくとして、記憶を揺るがす実在は確かに在り、また、その事が、彼の認識する現実世界を彼自身すら気付かぬ内に変えている、 と言う可能性は否定し得ない。いや、その場合、それは時空内の変化では無いので、認識者の記憶、もしくは、魂の変化が新しい世界を生み出した、 と言う方が適切であるのかも知れ無い。そして、もしも、実際にそうならば、以前、存在した筈の世界が、それで消え失せる、とも言い切れず、可能世界として、 残る事も考えられた。だが、その事を知るすべなど勿論、無い。我々、個々人の時空に於ける存在は時空と呼ばれる多次元世界の一点に過ぎず、 我々の知る現実とは、個々人のみの、原理的に証明不可能な、現時点の記憶の総体にしか過ぎぬ、極めて曖昧なものであるからだった。 つまり、現実は記憶でしか無い。我々に取って確かな事は、その現実が記憶されている、と言う、それだけであり、それが確かであり、 また、絶対に揺るがぬ、と言い得る証拠は、やはり、何処にも見出せ無かった。それ以上の事は、記憶の外の問題であり、少なくとも、自然的観察だけでは、 その認識は無理だった。 ただ、此処まで来ると、時空に縛られぬ何ものかの正体、我々に働き掛け、記憶の揺らぎを引き起こすあるものの正体、それだけは、薄々ながら想像し得た。 結論から言えば、それは魂とも呼ばれる想念である。ちなみに、この想念は精神的なカオスであって、認識不能な力を発する無数のイメージの集合体である。 それが自己の確認、つまり、自らの想念への認識を渇望した時、時空と自我が同時に生じる。 また、その時点から、彼は時空の一部と成って、その論理の枠に閉じ篭められた。其処に於いて、彼の記憶は確定し、未来の記憶や他者の世界での彼の記憶は、 彼の意識からは隠されたのである。一旦、時空が出来て仕舞うと、未来や他者の世界での彼の記憶は時空の論理とは相容れない。記憶は、 その全てが彼自身の認識する時空の過去を反映しなけれは為らないのである。然も無くば、時空は忽ちの内に崩壊し、彼は認識を失うだろう。 その故にこそ想念は、その論理的帰結としての現実を、つまり、過去を、自我の記憶として確定したのである。 勿論、想念はひとつであって、ひとつではなく、無であって、無ではなく、混沌としたイメージの集合体であって、集合体ではないので、 その様な想念が無数の時空を産む可能性を否定する事は不可能である。その故に、時空の創出と共に確定した記憶すら、時折、揺らぐのである。 自我と成った魂が一瞬、揺らぎ、記憶が揺らぐからだった。その事によって、自らの時空を離脱する事はまず無いが、時として垣間見る未来や、 断片的とも思える妙な記憶は、その様な揺らぎの引き起こす極めて希な出来事なのである。だが、それは彼が現実として認識をするかも知れぬ世界であって、 決して無視して良い類の幻影では無い。魂は時として、その様な啓示、あるいは、警告を為すのであった。 だが、その想念は何故、他の時空に影響して、関わる事が出来るのだろう。一つの想念がその論理に従い、宇宙を創造したのなら、在り得ぬ事と思われた。 もし、其処に他の想念が働いたなら、論理矛盾を来たして、時空が壊れる様にも見えたからである。ちなみに、このような想念は各々の認識者を通して、 その認識者に特有の想念として機能する。だが、思い起こすと、時空は想念の論理的な帰結に過ぎ無かった。つまり、 現時点の現実に至る道筋は記憶されたもの以外にも、幾つかは在りそうに思われる。その事が他の想念の侵入を可能にさせて居るのでは無いのだろうか？ いや、その可能性は高そうだった。 おそらく、その可能性が実現した時、他の想念は元の想念を変容させて、新たな時空を創造させた。また、同時に、入り込んだ想念も少なからず変容をして、 自らの時空を生み出したのである。そして、この過程は留まるところを知らず、時空と想念の創造は無限に続く筈だった。 従って、それら全ての想念は実は独立した存在では無く、その基とも言い得る想念へと繋がっていた。と、言うよりは、渾然一体としたものだった。 想念には時空が無く、数える事も区別する事も為し得ない。集合、想念はその部分と同一であり、集合、想念の集合もまた、想念と呼ぶ以外、 表し様が無いのである。あえて視覚的に表現するなら、それは認識者と感情の籠もったイメージとの混沌とした集合体である、と言えるのかも知れない。 だが、その様な想念が時空を産む時、認識者とそれぞれのイメージは泡の如く区別を生じて、その存在を露に示した。つまり、 その区別を生じた実在こそが我であり、他者であり、また、神であり、悪魔であり、あるいは魔物であったのである。逆に言えば、我々、 意識体の魂がその様な認識を持つのであった。だからこそ、神の中に悪魔が産まれ、悪魔の中に神もまた生じるのである。見よ！また一つ、 想念の泡が揺らぎ出ている。一つの時空が形成された。
Cotosiro